静かにランスロットの室の前にとまる。――ランスロットの夢は成らず。
 聞くならくアーサー大王のギニヴィアを娶《めと》らんとして、心惑える折、居《い》ながらに世の成行《なりゆき》を知るマーリンは、首を掉《ふ》りて慶事を肯《がえん》んぜず。この女|後《のち》に思わぬ人を慕う事あり、娶る君に悔《くい》あらん。とひたすらに諫《いさ》めしとぞ。聞きたる時の我に罪なければ思わぬ人[#「思わぬ人」に傍点]の誰《たれ》なるかは知るべくもなく打ち過ぎぬ。思わぬ人[#「思わぬ人」に傍点]の誰なるかを知りたる時、天《あめ》が下《した》に数多く生れたるもののうちにて、この悲しき命《さだめ》に廻《めぐ》り合せたる我を恨み、このうれしき幸《さち》を享《う》けたる己《おの》れを悦《よろこ》びて、楽みと苦みの綯《ないまじ》りたる縄を断たんともせず、この年月《としつき》を経たり。心|疚《や》ましきは願わず。疚ましき中に蜜あるはうれし。疚ましければこそ蜜をも醸《かも》せと思う折さえあれば、卓を共にする騎士の我を疑うこの日に至るまで王妃を棄《す》てず。ただ疑の積もりて証拠《あかし》と凝らん時――ギニヴィアの捕われて杭《くい
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