顔なる様にてそよとも動かぬ。ギニヴィアは幕の前に耳押し付けて一重向うに何事をか聴《き》く。聴きおわりたる横顔をまた真向《まむこう》に反《か》えして石段の下を鋭どき眼にて窺《うかが》う。濃《こま》やかに斑《ふ》を流したる大理石の上は、ここかしこに白き薔薇《ばら》が暗きを洩《も》れて和《やわら》かき香《かお》りを放つ。君見よと宵《よい》に贈れる花輪のいつ摧《くだ》けたる名残《なごり》か。しばらくはわが足に纏《まつ》わる絹の音にさえ心置ける人の、何の思案か、屹《き》と立ち直りて、繊《ほそ》き手の動くと見れば、深き幕の波を描いて、眩《まば》ゆき光り矢の如く向い側なる室《しつ》の中よりギニヴィアの頭《かしら》に戴《いただ》ける冠を照らす。輝けるは眉間《みけん》に中《あた》る金剛石ぞ。
「ランスロット」と幕押し分けたるままにていう。天を憚《はば》かり、地を憚かる中に、身も世も入《い》らぬまで力の籠《こも》りたる声である。恋に敵なければ、わが戴ける冠を畏《おそ》れず。
「ギニヴィア!」と応《こた》えたるは室の中なる人の声とも思われぬほど優しい。広き額を半ば埋《うず》めてまた捲《ま》き返る髪の、黒きを
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