る事は天に懸《かか》る日といえども難《かた》い。活《い》ける世の影なればかく果《は》敢《か》なきか、あるいは活ける世が影なるかとシャロットの女は折々疑う事がある。明らさまに見ぬ世なれば影ともまこととも断じがたい。影なれば果敢なき姿を鏡にのみ見て不足はなかろう。影ならずば?――時にはむらむらと起る一念に窓際に馳《か》けよりて思うさま鏡の外《ほか》なる世を見んと思い立つ事もある。シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女に呪《のろ》いのかかる時である。シャロットの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐《きょくせき》せねばならぬ。一重隔て、二重隔てて、広き世界を四角に切るとも、自滅の期を寸時も早めてはならぬ。
 去れどありのままなる世は罪に濁ると聞く。住み倦《う》めば山に遯《のが》るる心安さもあるべし。鏡の裏《うち》なる狭き宇宙の小さければとて、憂《う》き事の降りかかる十字の街《ちまた》に立ちて、行き交《か》う人に気を配る辛《つ》らさはあらず。何者か因果の波を一たび起してより、万頃《ばんけい》の乱れは永劫《えいごう》を極めて尽きざるを、渦|捲《ま》く中に頭《かしら》をも、手をも、足をも攫《さら
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