と相遠かる樣な小天地ばかりに居ればそれぎりだが大きな世界に出れば只愉快を得る爲めだ抔とは云ふて居られぬ進んで苦痛を求める爲めでなくてはなるまいと思ふ。
 君の趣味から云ふとオイラン憂ひ式でつまり。自分のウツクシイと思ふ事ばかりかいて、それで文學者だと澄まして居る樣になりはせぬかと思ふ。現實世界は無論さうはゆかぬ。文學世界も亦さう許りではゆくまい。かの俳句連虚子でも四方太でも此點に於ては丸で別世界の人間である。あんなの許りが文學者ではつまらない。といふて普通の小説家はあの通りである。僕は一面に於て俳諧的文學に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする樣な維新の志士の如き烈しい精神で文學をやつて見たい。それでないと何だか難をすてゝ易につき劇を厭ふて閑に走る所謂腰拔文學者の樣な氣がしてならん。
 破戒にとるべき所はないが只此點に於テ他をぬく事數等であると思ふ。然し破戒ハ未ダシ。三重吉先生破戒以上の作ヲドン/\出シ玉へ 以上
        十月二十六日
[#地から5字上げ]夏目金之助
     鈴木三重吉樣

          四六八
 明治三十九年十二月八日 午後(以下不明) 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町福榮館鈴木三重吉へ 
 拜啓別紙山彦評森田白楊より送り來り候御參考の爲め入御覽候ホトヽギスを書き始めんと思へど大趣向にて纒らず切ればカタワとなる、時間はあらず困り入候 艸々
        十二月八日
[#地から5字上げ]夏目金之助
     鈴木三重吉樣

          四七三
 明治三十九年十二月九日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町二十七番地鳳明館中川芳太郎、鈴木三重吉へ [はがき]
僕の家主東京轉任で僕は追ひ出されるにつきよき家あれば見當り次第教へて下され
白楊先生の批評を見たりや
        九日

          四八六
 明治三十九年十二月二十四日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町福榮館鈴木三重吉へ [はがき]
天氣ならば二十七日轉宅の筈どうか手傳に來てくれ玉へ。西片町十ロノ七ノアタリナリ。但シ千駄木へ御出張ヲ煩ハシタシ
        十二月二十四日



底本:「漱石全集 第十八卷」漱石全集刊行会
   1928(昭和3)年9月5日発行
※底本(書簡集)
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