ん》で渦巻《うずま》いて動いているように見える。幽《かす》かに聞えた歌の音は窖中《こうちゅう》にいる一人の声に相違ない。歌の主《ぬし》は腕を高くまくって、大きな斧《おの》を轆轤《ろくろ》の砥石《といし》にかけて一生懸命に磨《と》いでいる。その傍《そば》には一|挺《ちょう》の斧が抛《な》げ出してあるが、風の具合でその白い刃《は》がぴかりぴかりと光る事がある。他の一人は腕組をしたまま立って砥《と》の転《まわ》るのを見ている。髯《ひげ》の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人参《にんじん》のような色に見える。「こう毎日のように舟から送って来ては、首斬《くびき》り役も繁昌《はんじょう》だのう」と髯がいう。「そうさ、斧を磨《と》ぐだけでも骨が折れるわ」と歌の主《ぬし》が答える。これは背の低い眼の凹《くぼ》んだ煤色《すすいろ》の男である。「昨日《きのう》は美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう。「いや顔は美しいが頸《くび》の骨は馬鹿に堅い女だった。御蔭でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけに轆轤を転《ころ》ばす、シュシュシュと鳴る間《あいだ》から火花がピチピ
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