る。
 こんなものを書く人の心の中《うち》はどのようであったろうと想像して見る。およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える身体《からだ》は目に見えぬ縄で縛《しば》られて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに塗抹《とまつ》した人々は皆この死よりも辛《つら》い苦痛を甞《な》めたのである。忍ばるる限り堪《た》えらるる限りはこの苦痛と戦った末、いても起《た》ってもたまらなくなった時、始めて釘《くぎ》の折《おれ》や鋭どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の裏《うち》に不平を洩《も》らし、平地の上に波瀾を画いたものであろう。彼らが題せる一字一画は、号泣《ごうきゅう》、涕涙《ているい》、その他すべて自然の許す限りの排悶的《はいもんてき》手段を尽したる後《のち》なお飽《あ》く事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう。
 また想像して見る。生れて来た以上は、生きねばならぬ。あえて死を怖るるとは云わず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは耶蘇孔子《ヤソこうし》以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。何の理窟《りくつ》も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄に繋《つな》がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき運命を眼前に控《ひか》えておった。いかにせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼らの胸裏《きょうり》に起る疑問であった。ひとたびこの室《へや》に入《い》るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人《ひとり》しかない。彼らは遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今に亘《わた》る大真理は彼らに誨《おし》えて生きよと云う、飽《あ》くまでも生きよと云う。彼らはやむをえず彼らの爪を磨《と》いだ。尖《と》がれる爪の先をもって堅き壁の上に一と書いた。一をかける後《のち》も真理は古《いにし》えのごとく生きよと囁《ささや》く、飽くまでも生きよと囁く。彼らは剥《は》がれたる爪の癒《い》ゆるを待って再び二とかいた。斧《おの》の刃《は》に肉飛び骨|摧
前へ 次へ
全21ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング