のか以後はたしなむが善かろうときめつけられた。それから従順なるペンはけっして我輩に口をきかない。ただし口をきかないのは妻君の内にいる時に限るので、山の神が外へ出た時には依然としてもとのペンである。もとのペンが無言の業をさせられた口惜しまぎれに折を見て元利共取返そうと云う勢でくるからたまらない。一週間無理に断食をした先生が八日目に御櫃《おひつ》を抱えて奮戦するの慨がある。
 例のごとくデンマークヒルを散歩して帰ると、我輩のために戸を開いたるペンは直ちにしゃべり出した。果せるかな家内のものは皆新宅へ荷物を片付《かたづけ》に行って伽藍堂《がらんどう》の中に残るは我輩とペンばかりである。彼は立板に水を流すがごとく※[#「女+尾」、第3水準1−15−81]々《びび》十五分間ばかりノベツに何か云っているが毫《ごう》もわからない。能弁なる彼は我輩に一言の質問をも挟《さしは》さましめざるほどの速度をもって弁じかけつつある。我輩は仕方がないから話しは分らぬものと諦《あきら》めてペンの顔の造作《ぞうさく》の吟味にとりかかった。温厚なる二重瞼《ふたえまぶた》と先が少々逆戻りをして根に近づいている鼻とあくまで
前へ 次へ
全43ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング