堪《た》えんくらいの次第であるが、このペンに捕って話しかけられた時は幸か不幸かこれは他人に判断して貰うより仕方がない。日本にいる人は英語なら誰の使う英語でも大概似たもんだと思っているかも知れないが、やはり日本と同じ事で、国々の方言があり身分の高下がありなどして、それはそれは千違万別である。しかし教育ある上等社会の言語はたいてい通ずるから差支《さしつかえ》ないが、この倫敦《ロンドン》のコックネーと称する言語に至っては我輩にはとうてい分らない。これは当地の中流以下の用うる語《こと》ばで字引にないような発音をするのみならず、前の言ばと後の言ばの句切りが分らないことほどさよう早く饒舌《しゃべ》るのである。我輩はコックネーでは毎度閉口するが、ベッジパードンのコックネーに至っては閉口を通り過してもう一遍閉口するまで少々|草臥《くたびれ》るから開口一番ちょっと休まなければやり切れないくらいのものだ。我輩がここに下宿したてにはしばしばペンの襲撃を蒙《こうむ》って恐縮したのである。やむをえずこの旨を神《かみ》さんに届け出ると、可愛想にペンは大変御小言を頂戴した。御客様にそんなぶしつけな方《ほう》があるも
前へ 次へ
全43ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング