紅《くれな》いに健全なる顔色とそして自由自在に運動を縦《ほしい》ままにしている舌と、舌の両脇に流れてくる白き唾とをしばらくは無心に見つめていたが、やがて気の毒なような可愛想のようなまたおかしいような五目鮨司《ごもくずし》のような感じが起って来た。我輩はこの感じを現わすために唇を曲げて少しく微笑を洩《も》らした。無邪気なるペンはその辺に気のつくはずはない。自分の噺《はなし》に身が入《い》って笑うのだと我点《がてん》したと見えて赤い頬に笑靨《えくぼ》をこしらえてケタケタ笑った。この頓珍漢《とんちんかん》なる出来事のために我輩はいよいよ変テコな心持になる、ペンはますます乗気になる、始末がつかない。彼の云う所をあそこで一言ここで一句、分ったところだけ綜合《そうごう》して見るとこういうのらしい。昨日差配人が談判に来た。内の女連はバツが悪いから留守を使って追い返した。この玄関払の使命を完《まっと》うしたのがペンである。自分は嘘《うそ》をつくのは嫌《いや》だ。神さまにすまない。しかし主命もだしがたしでやむをえず嘘をついた。まずたいていここら当りだろうと遠くの火事を見るように見当をつけてようやく自分の
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