家には向かない。我輩がほととぎすを読んでいるのを見て、君も天智天皇の方はやれるのかいと聴《きい》た男だ。その日本人がとうとう逃出す。残るは我輩一人だ。こうなると家を畳むより仕方がない。そこでこれから南の方にあたる倫敦の町外れ――町外れと云っても倫敦は広い、どこまで広がるか分らない――その町外れだからよほど辺鄙《へんぴ》な処だ。そこに恰好《かっこう》な小奇麗《こぎれい》な新宅があるので、そこへ引越そうという相談だ。或日亭主と神《かみ》さんが出て行って我輩と妹が差し向いで食事をしていると陰気な声で「あなたもいっしょに引越して下さいますか」といった。この「下さいますか」が色気のある小説的の「下さいますか」ではない。色沢気抜きの世帯染《しょたいじみ》た「下さいますか」である。我輩がこの語を聞いたときは非常にいやな可愛想な気持ちがした。元来我輩は江戸っ児だ。しかるに朱引内か朱引外か少々|曖昧《あいまい》な所で生れた精《せい》か知らん今まで江戸っ児のやるような心持ちのいい慈善的事業をやった事がない。今何と答をしたかたしかに覚えておらん。いやしくも一遍の義侠心《ぎきょうしん》があるならば、うんあなた
前へ 次へ
全43ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング