。左の手にはこれも我輩のシートを渋紙包にして抱えている。両人とも両手が塞《ふさ》がっている。とんだ道行だ。角《かど》まで出て鉄道馬車に乗る。ケニングトンまで二銭宛だ。レデーは私が払っておきますといって黒い皮の蟇口《がまぐち》から一ペネー出して切符売に渡した。乗合は少ない。向側に派出《はで》ななりをしている若い女が乗っている。すると我輩の随行しているレデーが突然あなたはメリー・コレリのマスタークリスチアンを御読みなさいましたかと大きな声で聞た。これは近頃十五万部売れたというちょっと有名な本だ。我輩は書物は持っているがまだ読まないと答えた。「あの本はね、大変|善《よ》くできているのですがね、どうも作者の宗旨が何だか分らないのですよ。私の知っている者なんか皆んなコレリの宗旨は何だろうって噂《うわさ》していますよ」とますます向側の婦人に聞えよがしである。自分だって読んだ事もないのに鉄道馬車の中なんかでよせば善いと思ったが、仕方がないからウンウンと生返事をしていた。やがてケニングトンに着《つい》た。ここで馬車を乗り換《かえ》る。こんどは上へ上がろうと云うから階子《はしご》を登ってトップへ乗った。「この左りにあるのが有名な孤児院でスパージョンの紀念のために作ったのです。「スパージョン」て云うのは有名な説教家ですよ」「スパージョン」ぐらい講釈しないだって知っていら、腹が立ったから黙っててやった。「だんだん木が青くなって好い心持ですね、二週間ぐらい前からズット景色が変って来ましたね」「さよう、時にあすこに並んでいるのは何んて云う樹《き》ですか」「あれ? あれはポプラーでさあね」「ヘエーあれがポプラーですか、ナールほど」我輩は感嘆の辞を発した。神《かみ》さんはすぐツケ上る。「ポプラーはよく詩に咏じてありますよ、「テニソン」などにも出ています。どんな風の無い日でも枝が動く。アスペンとも云います。これもたしか「テニソン」にあったと思います」と「テニソン」専売だ。そのくせ何の詩にあるとも云わない。我輩は面倒臭いという風でウンウン云うのみである。向うの敷石の上を立派な婦人が裾《すそ》を長く引いて通る。「家の内での御引きずりには不賛成もありませんが、外であんな長い裾を引きずって歩行《ある》くのはあまり体裁の善いものではありませんね」と裾短かなるレデーは我輩に教うる処あった。ようやく「ツーチング
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