話をした事もない。心の底までは受合わないがまず挙動だけは君子のやるべき事をやっているんだ。実に立派なものだと自ら慰めている。
しかしながら冬の夜のヒューヒュー風が吹く時にストーヴから煙りが逆戻りをして室の中が真黒に一面に燻《いぶ》るときや、窓と戸の障子《しょうじ》の隙間《すきま》から寒い風が遠慮なく這込《はいこ》んで股から腰のあたりがたまらなく冷たい時や、板張の椅子が堅くって疝気持《せんきもち》の尻のように痛くなるときや、自分の着ている着物がぜんぜん変色して来るにつれて自分がだんだん下落するような情ない心持のする時は、何のためにこんな切りつめた生活をするんだろうと思う事もある。エー構わない。本も何も買えなくても善いから為替《かわせ》はみんな下宿料にぶち込んで人間らしい暮しをしようという気になる。それからステッキでも振り回わしてその辺を散歩するのである。向へ出て見ると逢《あ》う奴《やつ》も逢う奴も皆んな厭《いや》に背《せ》いが高い。おまけに愛嬌《あいきょう》のない顔ばかりだ。こんな国ではちっと人間の背いに税をかけたら少しは倹約した小さな動物が出来るだろうなどと考えるが、それはいわゆる負惜しみの減らず口と云う奴で、公平な処が向うの方がどうしても立派だ。何となく自分が肩身の狭い心持ちがする。向うから人間並外れた低い奴が来た。占《しめ》たと思ってすれ違って見ると自分より二寸ばかり高い。こんどは向うから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思うと、これすなわち乃公《だいこう》自身の影が姿見に写ったのである。やむをえず苦笑いをすると向うでも苦笑いをする。これは理の当然だ。それから公園へでも行くと角兵衛獅子に網を被《かぶ》せたような女がぞろぞろ歩行《ある》いている。その中には男もいる。職人もいる。感心に大概は日本の奏任官以上の服装をしている。この国では衣服では人の高下が分らない。牛肉配達などが日曜になるとシルクハットでフロックコートなどを着て澄している。しかし一般に人気が善《よ》い。我輩などを捕えて悪口をついたり罵《ののし》ったりするものは一人もおらん。ふり向いても見ない。当地では万事|鷹揚《おうよう》に平気にしているのが紳士の資格の一つとなっている。むやみに巾着切《きんちゃくき》りのようにこせこせしたり物珍らしそうにじろじろ人の顔なんどを見るのは下品となっている。ことに婦人なぞは後
前へ
次へ
全22ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング