予の描かんと欲する作品
夏目漱石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)如何《いか》なる
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)希望|丈《だ》け
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如何《いか》なるものを描かんと欲するかとの御質問であるが、私は、如何なるものをも書きたいと思う。自分の能力の許す限りは、色々種類の変化したものを書きたい。自分の性情に適したものは、なるべく多方面に亙《わた》って書きたい。然《しか》し、私のような人間であるから、それは単に希望|丈《だ》けで、其希望通りに書くことは出来ないかも知れぬ。で、御質問に対して漠然《ばくぜん》としたお答えではあるが、大抵以上に尽きて居る。私は、或る主義主張があって、その主義主張を創作に依って世に示して居るのではない。であるから、斯《こ》う云うものを書いて斯うしたいと云う、局部的な考えは別にない。従って、社会一般に及ぼす影響とか、感化とか云うけれ共《ども》、それも、作物の種類、性質に依って自《おのずか》[#底本のルビは「おのず」]ら生じて来るものであるから、斯う云う方面の人を、斯う云う風に、斯う云う点で影響しようと云うのは、茲《ここ》に判然と具象的に出来上ったものに就《つい》て云うことで、それを、作物の未《ま》だ出来上って居ない未来のことに就《つい》て、今茲に判然と云うことは出来ない。
では過去の作物に就《つい》て話せと云うのですか。では貴方《あなた》の方で質問を呈出して下さい。それに就てお答えすることにします。『虞美人草《ぐびじんそう》』の藤尾の性格は、我儘《わがまま》に育った我《が》の強い所から来たのか、自意識の強いモダーンな所から来たのかと云うのですか。それは両方に跨《またが》って居る。単に自意識の強いモダーンな所を見せようと云う、それを目的にして書いたなら、ああは書かなかったであろう。併《しか》し一面に於《おい》てはそれも含んで居る。柔順な女と、我の強い女を、藤尾と糸公に依って対照させ、そして、然《そ》うした性格の異る二個の女性の運命を書いて見せたのかと云うのかね。別に然《そ》んな考えはない。必ずしも自意識の強い女はああ云う風に終るもので、お糸のように順良な女は、ああ云う結果になると定《きま》ったものではない。従って、あの作に異った性格を有する二個の女性の運命が書いてあるからと云って、
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