も、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。大分寒くなった。もう秋ですね、浜の方は靄《もや》でセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、あの浜の景色は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ奇絶《きぜつ》ですね。時間があると写生するんだが、惜《お》しいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく。
港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛《ふえ》がヒューと鳴るとき、おれの乗っていた舟は磯《いそ》の砂へざぐりと、舳《へさき》をつき込んで動かなくなった。お早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶《あいさつ》する。おれは船端《ふなばた》から、やっと掛声《かけごえ》をして磯へ飛び下りた。
六
野だは大嫌《だいきら》いだ。こんな奴《やつ》は沢庵石《たくあんいし》をつけて海の底へ沈《しず》めちまう方が日本のためだ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目《だめ》だ。惚《ほ》れるものがあったってマドンナぐらいなものだ。し
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