ほどの度胸はない。
それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒動《そうどう》で蚊帳の中はぶんぶん唸《うな》っている。手燭《てしょく》をつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣手《つりて》をはずして、長く畳《たた》んでおいて部屋の中で横竪《よこたて》十文字に振《ふる》ったら、環《かん》が飛んで手の甲《こう》をいやというほど撲《ぶ》った。三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防《しんぼう》強い朴念仁《ぼくねんじん》がなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清《きよ》なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆《ばあ》さんだが、人間としてはすこぶる尊《たっ》とい。今まではあんなに世話になって別段|難有《ありがた》いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後《えちご》の笹飴《ささあめ》が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って
前へ
次へ
全210ページ中57ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング