ず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日《にさんち》前から開業したに違《ちが》いなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅《てんぷら》とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅《すみ》の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中《れんじゅう》が、ひとしくおれの方を見た。部屋《へや》が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶《あいさつ》をしたから、おれも挨拶をした。その晩は久《ひさ》し振《ぶり》に蕎麦を食ったので、旨《うま》かったから天麩羅を四杯|平《たいら》げた。
翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑《おか》しいかと聞いた。すると生徒の一人《ひとり》が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って
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