なかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗《きれい》に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響《えいきょう》を与《あた》えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈《てい》するかまるで無頓着《むとんじゃく》であった。おれは前に云う通りあまり度胸の据《すわ》った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行《ゆ》く覚悟《かくご》でいたから、狸《たぬき》も赤シャツも、ちっとも恐《おそろ》しくはなかった。まして教場の小僧《こぞう》共なんかには愛嬌《あいきょう》もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十《とお》ばかり並《なら》べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡《いなかまわ》りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山《かざん》とか何とか云う男の花鳥の掛物《
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