着て、扇子《せんす》をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉《うれ》しい、お仲間が出来て……私《わたし》もこれで江戸《えど》っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日《あさって》から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々《いまいま》しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿《とま》ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨《はくぼく》を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布《あざぶ》の
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