と仰《あお》がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及《およ》ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々《はるばる》こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩《けんか》の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇《やと》う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘《うそ》をつくのが嫌《きら》いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断《こと》わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布《さいふ》の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜《お》しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底《とうてい》あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しな
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