るくなった。名刺《めいし》を出したら校長室へ通した。校長は薄髯《うすひげ》のある、色の黒い、目の大きな狸《たぬき》のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭《うやうや》しく大きな印の捺《おさ》った、辞令を渡《わた》した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込《こ》んでしまった。校長は今に職員に紹介《しょうかい》してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒《めんどう》な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
 教員が控所《ひかえじょ》へ揃《そろ》うには一時間目の喇叭《らっぱ》が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々《おいおい》ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑《の》み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲《むてっぽう》なものをつらまえて、生徒の模範《もはん》になれの、一校の師表《しひょう》
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