仮りにあやまるので、勘弁するのも仮りに勘弁するのだと思ってれば差《さ》し支《つか》えない。もし本当にあやまらせる気なら、本当に後悔するまで叩《たた》きつけなくてはいけない。
 おれが組と組の間にはいって行くと、天麩羅《てんぷら》だの、団子《だんご》だの、と云う声が絶えずする。しかも大勢だから、誰《だれ》が云うのだか分らない。よし分ってもおれの事を天麩羅と云ったんじゃありません、団子と申したのじゃありません、それは先生が神経衰弱《しんけいすいじゃく》だから、ひがんで、そう聞くんだぐらい云うに極《き》まってる。こんな卑劣《ひれつ》な根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底《とうてい》直りっこない。こんな土地に一年も居ると、潔白なおれも、この真似《まね》をしなければならなく、なるかも知れない。向《むこ》うでうまく言い抜《ぬ》けられるような手段で、おれの顔を汚《よご》すのを抛《ほう》っておく、樗蒲一《ちょぼいち》はない。向こうが人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰《けいばつ》として何か返報を
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