やめるとワーと訳もないのに鬨《とき》の声を揚《あ》げたり、まるで浪人《ろうにん》が町内をねりあるいてるようなものだ。軍歌も鬨の声も揚げない時はがやがや何か喋舌《しゃべ》ってる。喋舌らないでも歩けそうなもんだが、日本人はみな口から先へ生れるのだから、いくら小言を云《い》ったって聞きっこない。喋舌るのもただ喋舌るのではない、教師のわる口を喋舌るんだから、下等だ。おれは宿直事件で生徒を謝罪さして、まあこれならよかろうと思っていた。ところが実際は大違《おおちが》いである。下宿の婆《ばあ》さんの言葉を借りて云えば、正に大違いの勘五郎《かんごろう》である。生徒があやまったのは心《しん》から後悔《こうかい》してあやまったのではない。ただ校長から、命令されて、形式的に頭を下げたのである。商人が頭ばかり下げて、狡《ずる》い事をやめないのと一般で生徒も謝罪だけはするが、いたずらは決してやめるものでない。よく考えてみると世の中はみんなこの生徒のようなものから成立しているかも知れない。人があやまったり詫《わ》びたりするのを、真面目《まじめ》に受けて勘弁するのは正直過ぎる馬鹿《ばか》と云うんだろう。あやまるのも
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