嵐が坐ると今度はうらなり先生が起った。先生はご鄭寧《ていねい》に、自席から、座敷の端《はし》の末座まで行って、慇懃《いんぎん》に一同に挨拶《あいさつ》をした上、今般は一身上の都合で九州へ参る事になりましたについて、諸先生方が小生のためにこの盛大《せいだい》なる送別会をお開き下さったのは、まことに感銘《かんめい》の至りに堪《た》えぬ次第で――ことにただ今は校長、教頭その他諸君の送別の辞を頂戴《ちょうだい》して、大いに難有《ありがた》く服膺《ふくよう》する訳であります。私はこれから遠方へ参りますが、なにとぞ従前の通りお見捨てなくご愛顧《あいこ》のほどを願います。とへえつく張って席に戻《もど》った。うらなり君はどこまで人が好いんだか、ほとんど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされている校長や、教頭に恭《うやうや》しくィ礼を云っている。それも義理|一遍《いっぺん》の挨拶ならだが、あの様子や、あの言葉つきや、あの顔つきから云うと、心《しん》から感謝しているらしい。こんな聖人に真面目にお礼を云われたら、気の毒になって、赤面しそうなものだが狸も赤シャツも真面目に謹聴《きんちょう》しているばかりだ。

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