くせき》に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟《たた》ったのである。
引き受けた以上は赴任《ふにん》せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居《ちっきょ》して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気《ひかくてきのんき》な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉《かまくら》へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳《たた》んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行《ゆ》くたびに、居《お》りさえすれば、何くれと款待《もて》なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢《じまん》を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴《ふいちょう》した事もある。独りで極《き》めて
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