と感心したくらいだ。
 このくらい関係の深い人の事だから、会議室へはいるや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ気がついた。実を云うと、この男の次へでも坐《す》わろうかと、ひそかに目標《めじるし》にして来たくらいだ。校長はもうやがて見えるでしょうと、自分の前にある紫《むらさき》の袱紗包《ふくさづつみ》をほどいて、蒟蒻版《こんにゃくばん》のような者を読んでいる。赤シャツは琥珀《こはく》のパイプを絹ハンケチで磨《みが》き始めた。この男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語《ささや》き合っている。手持無沙汰《てもちぶさた》なのは鉛筆《えんぴつ》の尻《しり》に着いている、護謨《ゴム》の頭でテーブルの上へしきりに何か書いている。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。ただうん[#「うん」に傍点]とかああ[#「ああ」に傍点]と云うばかりで、時々|怖《こわ》い眼をして、おれの方を見る。おれも負けずに睨《にら》め返す。
 ところへ待ちかねた、うらなり君が気の毒そうにはいって来て少々用事がありまして、遅刻|致《いた》しましたと慇懃《いんぎん》に狸《たぬき》に挨拶《あいさつ》をした。では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟蒻版を配布させる。見ると最初が処分の件、次が生徒|取締《とりしまり》の件、その他二三ヶ条である。狸は例の通りもったいぶって、教育の生霊《いきりょう》という見えでこんな意味の事を述べた。「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳《かとく》の致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれで校長が勤まるとひそかに慚愧《ざんき》の念に堪《た》えんが、不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起したのは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。しかしひとたび起った以上は仕方がない、どうにか処分をせんければならん、事実はすでに諸君のご承知の通りであるからして、善後策について腹蔵のない事を参考のためにお述べ下さい」
 おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎《とが》だとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職《めんしょく》になったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒《めんどう》な会議なんぞを
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