会議室は校長室の隣《とな》りにある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。黒い皮で張った椅子《いす》が二十|脚《きゃく》ばかり、長いテーブルの周囲に並《なら》んでちょっと神田の西洋料理屋ぐらいな格だ。そのテーブルの端《はじ》に校長が坐《すわ》って、校長の隣りに赤シャツが構える。あとは勝手次第に席に着くんだそうだが、体操《たいそう》の教師だけはいつも席末に謙遜《けんそん》するという話だ。おれは様子が分らないから、博物の教師と漢学の教師の間へはいり込《こ》んだ。向うを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔はどう考えても劣等だ。喧嘩はしても山嵐の方が遥《はる》かに趣《おもむき》がある。おやじの葬式《そうしき》の時に小日向《こびなた》の養源寺《ようげんじ》の座敷《ざしき》にかかってた懸物はこの顔によく似ている。坊主《ぼうず》に聞いてみたら韋駄天《いだてん》と云う怪物だそうだ。今日は怒《おこ》ってるから、眼をぐるぐる廻しちゃ、時々おれの方を見る。そんな事で威嚇《おど》かされてたまるもんかと、おれも負けない気で、やっぱり眼をぐりつかせて、山嵐をにらめてやった。おれの眼は恰好《かっこう》はよくないが、大きい事においては大抵な人には負けない。あなたは眼が大きいから役者になるときっと似合いますと清がよく云ったくらいだ。
 もう大抵お揃《そろ》いでしょうかと校長が云うと、書記の川村と云うのが一つ二つと頭数を勘定《かんじょう》してみる。一人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐茄子《とうなす》のうらなり君が来ていない。おれとうらなり君とはどう云う宿世《すくせ》の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼に付く、途中《とちゅう》をあるいていても、うらなり先生の様子が心に浮《うか》ぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々|蒼《あお》い顔をして湯壺《ゆつぼ》のなかに膨《ふく》れている。挨拶《あいさつ》をするとへえと恐縮《きょうしゅく》して頭を下げるから気の毒になる。学校へ出てうらなり君ほど大人しい人は居ない。めったに笑った事もないが、余計な口をきいた事もない。おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に逢《あ》ってから始めて、やっぱり正体のある文字だ
前へ 次へ
全105ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング