たところを、飛びかかって、肩を抑《おさ》えて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなく尾《つ》いて来た。夜《よ》はとうにあけている。
 おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰問《きつもん》し始めると、豚は、打《ぶ》っても擲いても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんな眠《ねむ》そうに瞼《まぶた》をはらしている。けちな奴等だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか。面でも洗って議論に来いと云ってやったが、誰も面を洗いに行かない。
 おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり押問答《おしもんどう》をしていると、ひょっくり狸がやって来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。
 校長はひと通りおれの説明を聞いた。生徒の言草《いいぐさ》もちょっと聞いた。追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って寄宿生をみんな放免《ほうめん》した。手温《てぬ》るい事だ。おれなら即席《そくせき》に寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな悠長《ゆうちょう》な事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。その上おれに向って、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業に及《およ》ばんと云うから、おれはこう答えた。「いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、頂戴《ちょうだい》した月給を学校の方へ割戻《わりもど》します」校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面|痒《かゆ》い。蚊がよっぽと刺《さ》したに相違ない。おれは顔中ぼりぼり掻《か》きながら、顔はいくら膨《は》れたって、口はたしかにきけますから、授業には差し支《つか》えませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねと賞《ほ》
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