仮りにあやまるので、勘弁するのも仮りに勘弁するのだと思ってれば差《さ》し支《つか》えない。もし本当にあやまらせる気なら、本当に後悔するまで叩《たた》きつけなくてはいけない。
おれが組と組の間にはいって行くと、天麩羅《てんぷら》だの、団子《だんご》だの、と云う声が絶えずする。しかも大勢だから、誰《だれ》が云うのだか分らない。よし分ってもおれの事を天麩羅と云ったんじゃありません、団子と申したのじゃありません、それは先生が神経衰弱《しんけいすいじゃく》だから、ひがんで、そう聞くんだぐらい云うに極《き》まってる。こんな卑劣《ひれつ》な根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底《とうてい》直りっこない。こんな土地に一年も居ると、潔白なおれも、この真似《まね》をしなければならなく、なるかも知れない。向《むこ》うでうまく言い抜《ぬ》けられるような手段で、おれの顔を汚《よご》すのを抛《ほう》っておく、樗蒲一《ちょぼいち》はない。向こうが人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰《けいばつ》として何か返報をしてやらなくっては義理がわるい。ところがこっちから返報をする時分に尋常《じんじょう》の手段で行くと、向うから逆捩《さかねじ》を食わして来る。貴様がわるいからだと云うと、初手から逃《に》げ路《みち》が作ってある事だから滔々《とうとう》と弁じ立てる。弁じ立てておいて、自分の方を表向きだけ立派にしてそれからこっちの非を攻撃《こうげき》する。もともと返報にした事だから、こちらの弁護は向うの非が挙がらない上は弁護にならない。つまりは向うから手を出しておいて、世間体はこっちが仕掛けた喧嘩《けんか》のように、見傚《みな》されてしまう。大変な不利益だ。それなら向うのやるなり、愚迂多良童子《ぐうたらどうじ》を極め込んでいれば、向うはますます増長するばかり、大きく云えば世の中のためにならない。そこで仕方がないから、こっちも向うの筆法を用いて捕《つら》まえられないで、手の付けようのない返報をしなくてはならなくなる。そうなっては江戸《えど》っ子も駄目《だめ》だ。駄目だが一年もこうやられる以上は、おれも人間だから駄目でも何でもそうならなくっちゃ始末がつかない。どうしても早く東京へ帰って清《きよ》といっしょになる
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