しむべき事である。
「解脱は便法である。この方便門《ほうべんもん》を通じて出頭《しゅっとう》し来る行為、動作、言説の是非は解脱の関するところではない。したがって吾人は解脱を修得する前に正鵠《せいこく》にあたれる趣味を養成せねばならぬ。下劣なる趣味を拘泥なく一代に塗抹《とまつ》するは学人の恥辱である。彼らが貴重なる十年二十年を挙《あ》げて故紙堆裏《こしたいり》に兀々《こつこつ》たるは、衣食のためではない、名聞《みょうもん》のためではない、ないし爵禄財宝《しゃくろくざいほう》のためではない。微《かす》かなる墨痕《ぼっこん》のうちに、光明の一|炬《きょ》を点じ得て、点じ得たる道火《どうか》を解脱の方便門より担《にな》い出《いだ》して暗黒世界を遍照《へんじょう》せんがためである。
「このゆえに真に自家証得底《じかしょうとくてい》の見解《けんげ》あるもののために、拘泥の煩《はん》を払って、でき得る限り彼らをして第一種の解脱に近づかしむるを道徳と云う。道徳とは有道《ゆうどう》の士をして道を行わしめんがために、吾人がこれに対して与うる自由の異名《いみょう》である。この大道徳を解せざるものを俗人と云う
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