教えた。
「よく、知ってるね。君はあの人の家来かい」
「家来じゃない」と中野君は真面目《まじめ》に弁解した。高柳君は腹のなかでまたちょっと愉快を覚えた。
「どうだい行こうじゃないか。時間がおくれるよ」
「おくれると逢えないと云うのかね」
 中野君は、すこし赤くなった。怒ったのか、弱点をつかれたためか、恥ずかしかったのか、わかるのは高柳君だけである。
「とにかく行こう。君はなんでも人の集まる所やなにかを嫌ってばかりいるから、一人坊《ひとりぼ》っちになってしまうんだよ」
 打つものは打たれる。参るのは今度こそ高柳君の番である。一人坊っちと云う言葉を聞いた彼は、耳がしいんと鳴って、非常に淋しい気持がした。
「いやかい。いやなら仕方がない。僕は失敬する」
 相手は同情の笑を湛《たた》えながら半歩|踵《くびす》をめぐらしかけた。高柳君はまた打たれた。
「いこう」と単簡《たんかん》に降参する。彼が音楽会へ臨むのは生れてから、これが始めてである。
 玄関にかかった時は受付が右へ左りへの案内で忙殺《ぼうさつ》されて、接待掛りの胸につけた、青いリボンを見失うほど込み合っていた。突き当りを右へ折れるのが上
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