しいものだ」
「まあさ、しまいまで御聞きなさい。――それで、ともかくも本人に逢って篤《とく》と了簡《りょうけん》を聞いた上にしようと云うところまでに漕《こ》ぎつけて来たのです」
細君は大功名をしたように頬骨《ほおぼね》の高い顔を持ち上げて、夫《おっと》を覗《のぞ》き込んだ。細君の眼つきが云う。夫は意気地《いくじ》なしである。終日終夜、机と首っ引をして、兀々《こつこつ》と出精《しゅっせい》しながら、妻《さい》と自分を安らかに養うほどの働きもない。
「そうか」と道也は云ったぎり、この手腕に対して、別段に感謝の意を表しようともせぬ。
「そうかじゃ困りますわ。私がここまで拵《こしら》えたのだから、あとは、あなたが、どうとも為《な》さらなくっちゃあ。あなたの楫《かじ》のとりようでせっかくの私の苦心も何の役にも立たなくなりますわ」
「いいさ、そう心配するな。もう一ヵ月もすれば百や弐百の金は手に這入《はい》る見込があるから」と道也先生は何の苦もなく云って退《の》けた。
江湖雑誌《こうこざっし》の編輯《へんしゅう》で二十円、英和字典の編纂《へんさん》で十五円、これが道也のきまった収入である。但《た
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