なおさら残念だ。膿《うみ》を出してくれと頼んだ腫物《しゅもつ》を、いい加減の真綿《まわた》で、撫《な》で廻わされたってむず痒《がゆ》いばかりである。
しかしこう思うのは高柳君の無理である。御雛様《おひなさま》に芸者の立《た》て引《ひ》きがないと云って攻撃するのは御雛様の恋を解《かい》せぬものの言草《いいぐさ》である。中野君は富裕《ふゆう》な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵《こたつ》へあたって、椽側《えんがわ》の硝子戸越《ガラスどごし》に眺《なが》めたばかりである。友禅《ゆうぜん》の模様はわかる、金屏《きんびょう》の冴《さ》えも解せる、銀燭《ぎんしょく》の耀《かがや》きもまばゆく思う。生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの木強漢《ぼっきょうかん》では無論ない。ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。たまには歩いていて、気がつかぬとも限らぬ。しかしさぞ暗い事だろうと身に沁《し
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