のために存在するか、われは子のために存在するか、あるいはわれそのものを樹立せんがために存在するか、吾人《ごじん》生存の意義はこの三者の一を離るる事が出来んのである」
 聴衆は依然として、だまっている。あるいは煙《けむ》に捲《ま》かれたのかも知れない。高柳君はなるほどと聴いている。
「文芸復興は大《だい》なる意味において父母のために存在したる大時期である。十八世紀末のゴシック復活もまた大なる意味において父母のために存在したる小時期である。同時にスコット一派の浪漫派《ろうまんは》を生まんがために存在した時期である。すなわち子孫のために存在したる時期である。自己を樹立せんがために存在したる時期の好例はエリザベス朝の文学である。個人について云えばイブセンである。メレジスである。ニイチェである。ブラウニングである。耶蘇教徒《ヤソきょうと》は基督《キリスト》のために存在している。基督は古《いにし》えの人である。だから耶蘇教徒は父のために存在している。儒者《じゅしゃ》は孔子《こうし》のために生きている。孔子も昔《いにし》えの人である。だから儒者は父のために生きている。……」
「もうわかった」と叫ぶも
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