たたく。手をたたくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。独《ひと》り高柳君のみは粛然《しゅくぜん》として襟《えり》を正した。
「自己は過去と未来の連鎖《れんさ》である」
 道也先生の冒頭は突如として来た。聴衆はちょっと不意撃《ふいうち》を食った。こんな演説の始め方はない。
「過去を未来に送り込むものを旧派と云い、未来を過去より救うものを新派と云うのであります」
 聴衆はいよいよ惑《まど》った。三百の聴衆のうちには、道也先生をひやかす目的をもって入場しているものがある。彼らに一|寸《すん》の隙《すき》でも与えれば道也先生は壇上に嘲殺《ちょうさつ》されねばならぬ。角力《すもう》は呼吸《こきゅう》である。呼吸を計らんでひやかせばかえって自分が放《ほう》り出されるばかりである。彼らは蛇のごとく鎌首《かまくび》を持ち上げて待構えている。道也先生の眼中には道の一字がある。
「自己のうちに過去なしと云うものは、われに父母《ふぼ》なしと云うがごとく、自己のうちに未来なしと云うものは、われに子を生む能力なしというと一般である。わが立脚地はここにおいて明瞭《めいりょう》である。われは父母《ふぼ》
前へ 次へ
全222ページ中185ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング