な》いでいるようでは馬車馬が秣《まぐさ》を食って終日《しゅうじつ》馳《か》けあるくと変りはなさそうだ。おれ[#「おれ」に傍点]にはおれ[#「おれ」に傍点]がある。このおれ[#「おれ」に傍点]を出さないでぶらぶらと死んでしまうのはもったいない。のみならず親の手前世間の手前面目ない。人から土偶《でく》のようにうとまれるのも、このおれ[#「おれ」に傍点]を出す機会がなくて、鈍根《どんこん》にさえ立派に出来る翻訳の下働きなどで日を暮らしているからである。どうしても無念だ。石に噛《か》みついてもと思う矢先に道也《どうや》の演説を聞いて床についた。医者は大胆にも結核の初期だと云う。いよいよ結核なら、とても助からない。命のあるうちにとまた旧稿に向って見たが、綯《よ》る縄《なわ》は遅く、逃げる泥棒は早い。何一つ見やげも置かないで、消えて行くかと思うと、熱さえ余計に出る。これ一つ纏《まと》めれば死んでも言訳《いいわけ》は立つ。立つ言訳を作るには手当もしなければならん。今の百円は他日の万金よりも貴《たっと》い。
百円を懐《ふところ》にして室《へや》のなかを二度三度廻る。気分も爽《さわや》かに胸も涼しい。たちまち思い切ったように帽を取って師走《しわす》の市《いち》に飛び出した。黄昏《たそがれ》の神楽坂《かぐらざか》を上《あが》ると、もう五時に近い。気の早い店では、はや瓦斯《ガス》を点じている。
毘沙門《びしゃもん》の提灯《ちょうちん》は年内に張りかえぬつもりか、色が褪《さ》めて暗いなかで揺れている。門前の屋台で職人が手拭《てぬぐい》を半襷《はんだすき》にとって、しきりに寿司《すし》を握っている。露店の三馬《さんま》は光るほどに色が寒い。黒足袋《くろたび》を往来へ並べて、頬被《ほおかぶ》りに懐手《ふところで》をしたのがある。あれでも足袋は売れるかしらん。今川焼は一銭に三つで婆さんの自製にかかる。六銭五厘の万年筆《まんねんふで》は安過ぎると思う。
世は様々だ、今ここを通っているおれは、翌《あす》の朝になると、もう五六十里先へ飛んで行く。とは寿司屋《すしや》の職人も今川焼の婆さんも夢にも知るまい。それから、この百円を使い切ると金の代りに金より貴いあるものを懐にしてまた東京へ帰って来る。とも誰も思うものはあるまい。世は様々である。
道也先生に逢《あ》って、実はこれこれだと云ったら先生はそ
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