きらきらして奇麗《きれい》だろう」
「君の発明かい」
「昔《むか》しの通人《つうじん》はそんな風流をして遊んだそうだ」
「贅沢《ぜいたく》な奴らだ」
「君の机の上に原稿があるね。やっぱり地理学教授法か」
「地理学教授法はやめたさ。病気になって、あんなつまらんものがやれるものか」
「じゃ何だい」
「久しく書きかけて、それなりにして置いたものだ」
「あの小説か。君の一代の傑作か。いよいよ完成するつもりなのかい」
「病気になると、なおやりたくなる。今まではひまになったらと思っていたが、もうそれまで待っちゃいられない。死ぬ前に是非書き上げないと気が済まない」
「死ぬ前は過激な言葉だ。書くのは賛成だが、あまり凝《こ》るとかえって身体《からだ》がわるくなる」
「わるくなっても書けりゃいいが、書けないから残念でたまらない。昨夜《ゆうべ》は続きを三十枚かいた夢を見た」
「よっぽど書きたいのだと見えるね」
「書きたいさ。これでも書かなくっちゃ何のために生れて来たのかわからない。それが書けないときまった以上は穀潰《ごくつぶ》し同然ださ。だから君の厄介《やっかい》にまでなって、転地するがものはないんだ」
「それで転地するのがいやなのか」
「まあ、そうさ」
「そうか、それじゃ分った。うん、そう云うつもりなのか」と中野君はしばらく考えていたが、やがて
「それじゃ、君は無意味に人の世話になるのが厭《いや》なんだろうから、そこのところを有意味にしようじゃないか」と云う。
「どうするんだ」
「君の目下《もっか》の目的は、かねて腹案のある述作を完成しようと云うのだろう。だからそれを条件にして僕が転地の費用を担任しようじゃないか。逗子《ずし》でも鎌倉《かまくら》でも、熱海《あたみ》でも君の好《すき》な所へ往《い》って、呑気《のんき》に養生する。ただ人の金を使って呑気に養生するだけでは心が済まない。だから療養かたがた気が向いた時に続きをかくさ。そうして身体《からだ》がよくなって、作《さく》が出来上ったら帰ってくる。僕は費用を担任した代り君に一大傑作を世間へ出して貰う。どうだい。それなら僕の主意も立ち、君の望《のぞみ》も叶《かな》う。一挙両得じゃないか」
 高柳君は膝頭《ひざがしら》を見詰めて考えていた。
「僕が君の所へ、僕の作を持って行けば、僕の君に対する責任は済む訳なんだね」
「そうさ。同時に君が天下
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