なろうとも報酬はいよいよ減ずるのである。だによって労力の高下《こうげ》では報酬の多寡《たか》はきまらない。金銭の分配は支配されておらん。したがって金のあるものが高尚な労力をしたとは限らない。換言すれば金があるから人間が高尚だとは云えない。金を目安《めやす》にして人物の価値をきめる訳には行かない」
滔々《とうとう》として述べて来た道也はちょっとここで切って、満場の形勢を観望した。活版に押した演説は生命がない。道也は相手しだいで、どうとも変わるつもりである。満場は思ったより静かである。
「それを金があるからと云うてむやみにえらがるのは間違っている。学者と喧嘩《けんか》する資格があると思ってるのも間違っている。気品のある人々に頭を下げさせるつもりでいるのも間違っている。――少しは考えても見るがいい。いくら金があっても病気の時は医者に降参しなければなるまい。金貨を煎《せん》じて飲む訳には行かない……」
あまり熱心な滑稽《こっけい》なので、思わず噴き出したものが三四人ある。道也先生は気がついた。
「そうでしょう――金貨を煎《せん》じたって下痢《げり》はとまらないでしょう。――だから御医者に頭を下げる。その代り御医者は――金に頭を下げる」
道也先生はにやにやと笑った。聴衆もおとなしく笑う。
「それで好《い》いのです。金に頭を下げて結構です――しかし金持はいけない。医者に頭を下げる事を知ってながら、趣味とか、嗜好《しこう》とか、気品とか人品とか云う事に関して、学問のある、高尚な理窟《りくつ》のわかった人に頭を下げることを知らん。のみならずかえって金の力で、それらの頭をさげさせようとする。――盲目《めくら》蛇《へび》に怖《お》じずとはよく云ったものですねえ」
と急に会話調になったのは曲折があった。
「学問のある人、訳のわかった人は金持が金の力で世間に利益を与うると同様の意味において、学問をもって、わけの分ったところをもって社会に幸福を与えるのである。だからして立場こそ違え、彼らはとうてい冒《おか》し得べからざる地位に確たる尻《しり》を据《す》えているのである。
「学者がもし金銭問題にかかれば、自己の本領を棄《す》てて他の縄張内《なわばりうち》に這入《はい》るのだから、金持ちに頭を下げるが順当であろう。同時に金以上の趣味とか文学とか人生とか社会とか云う問題に関しては金持ちの方が
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