の中を何と思ってるだろう」
「何とも思うものかね。ただああやって暮らしているのさ」
「羨《うら》やましいな。どうかして――どうもいかんな」
「あんなものが羨しくっちゃ大変だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだろう。さあもう一杯景気よく飲んだ」
「あの人が羨ましいのじゃないが、ああ云う風に余裕があるような身分が羨ましい。いくら卒業したってこう奔命《ほんめい》に疲れちゃ、少しも卒業のありがた味はない」
「そうかなあ、僕なんざ嬉《うれ》しくってたまらないがなあ。我々の生命はこれからだぜ。今からそんな心細い事を云っちゃあしようがない」
「我々の生命はこれからだのに、これから先が覚束《おぼつか》ないから厭《いや》になってしまうのさ」
「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、大《おおい》にやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼《なまやき》は消化がいいって云うぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀《ナイフ》を揮《ふる》って厚切《あつぎ》りの一片《いっぺん》を中央《まんなか》から切断した。
「なあるほど、赤い。赤いよ君、見たまえ。血が出るよ」
 高柳君は何にも答えずにむしゃむしゃ赤いビステキを食い始めた。いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった。
 人にわが不平を訴えんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把《ちゅうとはんぱ》な慰藉《いしゃ》を与えらるるのは快《こころ》よくないものだ。わが不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞《おせじ》に気の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減を眺《なが》めながら、相手はなぜこう感情が粗大《そだい》だろうと思った。もう少し切り込みたいと云う矢先《やさき》へ持って来て、ざああと水を懸《か》けるのが中野君の例である。不親切な人、冷淡な人ならば始めからそれ相応の用意をしてかかるから、いくら冷たくても驚ろく気遣《きづかい》はない。中野君がかような人であったなら、出鼻をはたかれてもさほどに口惜《くや》しくはなかったろう。しかし高柳君の眼に映ずる中野輝一《なかのきいち》は美しい、賢こい、よく人情を解して事理を弁《わきま》えた秀才である。この秀才が折々この癖を出すのは解《かい》しにくい。
 彼らは同じ高等学校の、同じ
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