い。ただこう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。こう働かなくって満足が出来ないところをもって見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に従うよりほかにやりようのないものだ。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番|貴《たっと》いのだろうと思っています。道に従う人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀《へい》なんか何でもない。ハハハハ」
剥《は》げかかった山高帽を阿弥陀《あみだ》に被《かぶ》って毛繻子張《けじゅすば》りの蝙蝠傘《こうもり》をさした、一人坊《ひとりぼ》っちの腰弁当の細長い顔から後光《ごこう》がさした。高柳君ははっと思う。
往来のものは右へ左へ行く。往来の店は客を迎え客を送る。電車は出来るだけ人を載《の》せて東西に走る。織るがごとき街《ちまた》の中に喪家《そうか》の犬のごとく歩む二人は、免職になりたての属官と、堕落した青書生と見えるだろう。見えても仕方がない。道也はそれでたくさんだと思う。周作はそれではならぬと思う。二人は四丁目の角でわかれた。
九
小春の日に温《ぬく》め返された別荘の小天地を開いて結婚の披露《ひろう》をする。
愛は偏狭《へんきょう》を嫌《きら》う、また専有をにくむ。愛したる二人の間に有り余る情《じょう》を挙《あ》げて、博《ひろ》く衆生《しゅじょう》を潤《うる》おす。有りあまる財を抛《なげう》って多くの賓格《ひんかく》を会《かい》す。来らざるものは和楽《わらく》の扇に麾《さしまね》く風を厭《いと》うて、寒き雪空に赴《おもむ》く鳧雁《ふがん》の類《るい》である。
円満なる愛は触るるところのすべてを円満にす。二人の愛は曇り勝ちなる時雨《しぐれ》の空さえも円満にした。――太陽の真上に照る日である。照る事は誰でも知るが、だれも手を翳《かざ》して仰ぎ見る事のならぬくらい明《あきら》かに照る日である。得意なるものに明かなる日の嫌なものはない。客は車を駆って東西南北より来る。
杉の葉の青きを択《えら》んで、丸柱の太きを装《よそお》い、頭《かしら》の上一丈にて二本を左右より平《たいら》に曲げて続《つ》ぎ合せたるをアーチと云う。杉の葉の青きはあまりに厳《おごそか》に過ぐ。愛の郷に入るものは、ただおごそかなる門を潜《くぐ》るべからず。青きものは暖かき色に和《やわら》げられねばならぬ。
裂けば煙《けぶ》る蜜柑《
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