い不平を並べると、
「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ。学校をやめたって、いっこう差支《さしつかえ》ない。御前の方がおれよりよっぽどえらいよ」と兄が云ったので、話はそれぎり頓挫《とんざ》して、小六はとうとう本郷へ帰って行った。
宗助はそれから湯を浴びて、晩食《ばんめし》を済まして、夜は近所の縁日へ御米といっしょに出掛けた。そうして手頃な花物を二鉢買って、夫婦して一つずつ持って帰って来た。夜露にあてた方がよかろうと云うので、崖下《がけした》の雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。
蚊帳《かや》の中へ這入《はい》った時、御米は、
「小六さんの事はどうなって」と夫に聞くと、
「まだどうもならないさ」と宗助は答えたが、十分ばかりの後《のち》夫婦ともすやすや寝入《ねい》った。
翌日眼が覚めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考える暇を有《も》たなかった。家《うち》へ帰って、のっそりしている時ですら、この問題を確的《はっきり》眼の前に描《えが》いて明らかにそれを眺《なが》める事を憚《はば》かった。髪の毛の中に包んである彼の脳は、その煩《わずら》わしさに堪《た》えなかった。昔は数学が好きで、随分込み入った幾何《きか》の問題を、頭の中で明暸《めいりょう》な図にして見るだけの根気があった事を憶《おも》い出すと、時日の割には非常に烈《はげ》しく来たこの変化が自分にも恐ろしく映った。
それでも日に一度ぐらいは小六の姿がぼんやり頭の奥に浮いて来る事があって、その時だけは、あいつの将来も何とか考えておかなくっちゃならないと云う気も起った。しかしすぐあとから、まあ急ぐにも及ぶまいぐらいに、自分と打ち消してしまうのが常であった。そうして、胸の筋《きん》が一本|鉤《かぎ》に引っ掛ったような心を抱《いだ》いて、日を暮らしていた。
そのうち九月も末になって、毎晩|天《あま》の河《がわ》が濃く見えるある宵《よい》の事、空から降ったように安之助がやって来た。宗助にも御米にも思い掛けないほど稀《たま》な客なので、二人とも何か用があっての訪問だろうと推《すい》したが、はたして小六に関する件であった。
この間月島の工場へひょっくり小六がやって来て云うには、自分の学資についての詳しい話は兄から聞いたが、自分も今まで学問をやって来て、とうとう大学へ這入《はい》れずじまいになるのはいかにも残念だから、借金でも何でもして、行けるところまで行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談をかけるので、安之助はよく宗さんにも話して見ようと答えると、小六はたちまちそれを遮《さえ》ぎって、兄はとうてい相談になってくれる人じゃない。自分が大学を卒業しないから、他《ひと》も中途でやめるのは当然だぐらいに考えている。元来今度の事も元を糺《ただ》せば兄が責任者であるのに、あの通りいっこう平気なもので、他が何を云っても取り合ってくれない。だから、ただ頼りにするのは君だけだ。叔母さんに正式に断わられながら、また君に依頼するのはおかしいようだが、君の方が叔母さんより話が分るだろうと思って来たと云って、なかなか動きそうもなかったそうである。
安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事ではだいぶ心配して、近いうちまた家《うち》へ相談に来るはずになっているんだからと慰めて、小六を帰したんだと云う。帰るときに、小六は袂《たもと》から半紙を何枚も出して、欠席届が入用《にゅうよう》だからこれに判を押してくれと請求して、僕は退学か在学か片がつくまでは勉強ができないから、毎日学校へ出る必要はないんだと云ったそうである。
安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して帰って行ったが、小六の所置については、両人の間に具体的の案は別に出なかった。いずれ緩《ゆっ》くりみんなで寄ってきめよう、都合がよければ小六も列席するが好かろうというのが別れる時の言葉であった。二人になったとき、御米は宗助に、
「何を考えていらっしゃるの」と聞いた。宗助は両手を兵児帯《へこおび》の間に挟《はさ》んで、心持肩を高くしたなり、
「おれももう一返小六みたようになって見たい」と云った。「こっちじゃ、向《むこう》がおれのような運命に陥《おちい》るだろうと思って心配しているのに、向じゃ兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」
御米は茶器を引いて台所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、また床《とこ》を延べて寝《ね》た。夢の上に高い銀河《あまのがわ》が涼しく懸《かか》った。
次の週間には、小六も来ず、佐伯からの音信《たより》もなく、宗助の家庭はまた平日の無事に帰った。夫婦は毎朝露に光る頃起きて、美しい日を廂《ひさし》の上に見た。夜は煤竹《すすだけ》の台を着けた洋灯《ランプ》の両側に、長い影を描《えが》いて坐っていた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音だけが聞える事も稀《まれ》ではなかった。
それでも夫婦はこの間に小六の事を相談した。小六がもしどうしても学問を続ける気なら無論の事、そうでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れているが、そうすればまた佐伯へ帰るか、あるいは宗助の所へ置くよりほかに途《みち》はない。佐伯ではいったんああ云い出したようなものの、頼んで見たら、当分|宅《うち》へ置くぐらいの事は、好意上してくれまいものでもない。が、その上修業をさせるとなると、月謝小遣その他は宗助の方で担任《たんにん》しなければ義理が悪い。ところがそれは家計上宗助の堪《た》えるところでなかった。月々の収支を事細かに計算して見た両人《ふたり》は、
「とうてい駄目だね」
「どうしたって無理ですわ」と云った。
夫婦の坐《すわ》っている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間《ひとま》ある。下女を入れて三人の小人数《こにんず》だから、この六畳には余り必要を感じない御米は、東向の窓側にいつも自分の鏡台を置いた。宗助も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、ここへ来て着物を脱《ぬ》ぎ更《か》えた。
「それよりか、あの六畳を空《あ》けて、あすこへ来ちゃいけなくって」と御米が云い出した。御米の考えでは、こうして自分の方で部屋と食物だけを分担して、あとのところを月々いくらか佐伯から助《すけ》て貰《もら》ったら、小六の望み通り大学卒業までやって行かれようと云うのである。
「着物は安さんの古いのや、あなたのを直して上げたら、どうかなるでしょう」と御米が云い添えた。実は宗助にもこんな考が、多少頭に浮かんでいた。ただ御米に遠慮がある上に、それほど気が進まなかったので、つい口へ出さなかったまでだから、細君からこう反対《あべこべ》に相談を掛けられて見ると、固《もと》よりそれを拒《こば》むだけの勇気はなかった。
小六にその通りを通知して、御前さえそれで差支《さしつかえ》なければ、おれがもう一遍佐伯へ行って掛合って見るがと、手紙で問い合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘《からかさ》に音を立ててやって来て、もう学資ができでもしたように嬉《うれ》しがった。
「何、叔母さんの方じゃ、こっちでいつまでもあなたの事を放り出したまんま、構わずにおくもんだから、それでああおっしゃるのよ。なに兄さんだって、もう少し都合が好ければ、疾《と》うにもどうにかしたんですけれども、御存じの通りだから実際やむを得なかったんですわ。しかしこっちからこう云って行けば、叔母さんだって、安さんだって、それでも否《いや》だとは云われないわ。きっとできるから安心していらっしゃい。私《わたし》受合うわ」
御米にこう受合って貰った小六は、また雨の音を頭の上に受けて本郷へ帰って行った。しかし中一日置いて、兄さんはまだ行かないんですかと聞きに来た。また三日ばかり過ぎてから、今度は叔母さんの所へ行って聞いたら、兄さんはまだ来ないそうだから、なるべく早く行くように勧《すす》めてくれと催促して行った。
宗助が行く行くと云って、日を暮らしているうちに世の中はようやく秋になった。その朗らかな或日曜の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後《おく》れるので、この要件を手紙に認《したた》めて番町へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行って留守だと云う返事が来たのである。
五
佐伯《さえき》の叔母の尋ねて来たのは、土曜の午後の二時過であった。その日は例になく朝から雲が出て、突然と風が北に変ったように寒かった。叔母は竹で編んだ丸い火桶《ひおけ》の上へ手を翳《かざ》して、
「何ですね、御米《およね》さん。この御部屋は夏は涼しそうで結構だが、これからはちと寒うござんすね」と云った。叔母は癖のある髪を、奇麗《きれい》に髷《まげ》に結《い》って、古風な丸打の羽織の紐《ひも》を、胸の所で結んでいた。酒の好きな質《たち》で、今でも少しずつは晩酌をやるせいか、色沢《いろつや》もよく、でっぷり肥《ふと》っているから、年よりはよほど若く見える。御米は叔母が来るたんびに、叔母さんは若いのねと、後《あと》でよく宗助《そうすけ》に話した。すると宗助がいつでも、若いはずだ、あの年になるまで、子供をたった一人しか生まないんだからと説明した。御米は実際そうかも知れないと思った。そうしてこう云われた後では、折々そっと六畳へ這入《はい》って、自分の顔を鏡に映して見た。その時は何だか自分の頬《ほお》が見るたびに瘠《こ》けて行くような気がした。御米には自分と子供とを連想して考えるほど辛《つら》い事はなかったのである。裏の家主の宅《うち》に、小さい子供が大勢いて、それが崖《がけ》の上の庭へ出て、ブランコへ乗ったり、鬼ごっこをやったりして騒ぐ声が、よく聞えると、御米はいつでも、はかないような恨《うら》めしいような心持になった。今自分の前に坐っている叔母は、たった一人の男の子を生んで、その男の子が順当に育って、立派な学士になったればこそ、叔父が死んだ今日《こんにち》でも、何不足のない顔をして、腮《あご》などは二重《ふたえ》に見えるくらいに豊《ゆたか》なのである。御母さんは肥っているから剣呑《けんのん》だ、気をつけないと卒中でやられるかも知れないと、安之助《やすのすけ》が始終《しじゅう》心配するそうだけれども、御米から云わせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享《う》け合っているものとしか思われなかった。
「安さんは」と御米が聞いた。
「ええようやくね、あなた。一昨日《おととい》の晩帰りましてね。それでついつい御返事も後《おく》れちまって、まことに済みませんような訳で」と云ったが、返事の方はそれなりにして、話はまた安之助へ戻って来た。
「あれもね、御蔭《おかげ》さまでようやく学校だけは卒業しましたが、これからが大事のところで、心配でございます。――それでもこの九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあさいわいとこの分で勉強さえして行ってくれれば、この末ともに、そう悪い事も無かろうかと思ってるんですけれども、まあ若いものの事ですから、これから先どう変化《へんげ》るか分りゃしませんよ」
御米はただ結構でございますとか、おめでとうございますとか云う言葉を、間々《あいだあいだ》に挟《はさ》んでいた。
「神戸へ参ったのも、全くその方の用向なので。石油発動機とか何とか云うものを鰹船《かつおぶね》へ据《す》え付けるんだとかってねあなた」
御米にはまるで意味が分らなかった。分らないながらただへええと受けていると、叔母はすぐ後《あと》を話した。
「私にも何のこったか、ちっとも分らなかったんですが、安之助の講釈を聞いて始めて、おやそうかいと云うような訳でしてね。――もっとも石油発動機は今もって分らないんですけれども」と云いながら、大きな声を出して笑った。「何でも石油を焚《た》いて、それで船を自由にする器械なんだそうですが、聞いて見るとよほど重宝なものらしいんですよ。それさえ付ければ、舟を漕《こ》ぐ手間《てま》がまるで省けるとかでね。五里も十
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