に曲って来た。宗助は両手で左の足の甲を抱《かか》えるようにして下へおろした。彼は何をする目的《めあて》もなく室《へや》の中に立ち上がった。障子《しょうじ》を明けて表へ出て、門前をぐるぐる駈《か》け回《まわ》って歩きたくなった。夜はしんとしていた。寝ている人も起きている人もどこにもおりそうには思えなかった。宗助は外へ出る勇気を失った。じっと生きながら妄想《もうぞう》に苦しめられるのはなお恐ろしかった。
彼は思い切ってまた新らしい線香を立てた。そうしてまたほぼ前《ぜん》と同じ過程を繰り返した。最後に、もし考えるのが目的だとすれば、坐って考えるのも寝て考えるのも同じだろうと分別した。彼は室の隅《すみ》に畳んであった薄汚ない蒲団《ふとん》を敷いて、その中に潜《もぐ》り込んだ。すると先刻《さっき》からの疲れで、何を考える暇もないうちに、深い眠りに落ちてしまった。
眼が覚《さ》めると枕元の障子がいつの間にか明るくなって、白い紙にやがて日の逼《せま》るべき色が動いた。昼も留守《るす》を置かずに済む山寺は、夜に入っても戸を閉《た》てる音を聞かなかったのである。宗助は自分が坂井の崖下《がけした》の暗い部屋に寝ていたのでないと意識するや否《いな》や、すぐ起き上がった。縁へ出ると、軒端《のきば》に高く大覇王樹《おおさぼてん》の影が眼に映った。宗助はまた本堂の仏壇の前を抜けて、囲炉裏《いろり》の切ってある昨日《きのう》の茶の間へ出た。そこには昨日の通り宜道の法衣《ころも》が折釘《おりくぎ》にかけてあった。そうして本人は勝手の竈《かまど》の前に蹲踞《うずく》まって、火を焚《た》いていた。宗助を見て、
「御早う」と慇懃《いんぎん》に礼をした。「先刻《さっき》御誘い申そうと思いましたが、よく御寝《おやすみ》のようでしたから、失礼して一人参りました」
宗助はこの若い僧が、今朝夜明がたにすでに参禅を済まして、それから帰って来て、飯を炊《かし》いでいるのだという事を知った。
見ると彼は左の手でしきりに薪《まき》を差し易《か》えながら、右の手に黒い表紙の本を持って、用の合間合間にそれを読んでいる様子であった。宗助は宜道に書物の名を尋ねた。それは碧巌集《へきがんしゅう》というむずかしい名前のものであった。宗助は腹の中で、昨夕《ゆうべ》のように当途《あてど》もない考《かんがえ》に耽《ふけ》って脳を疲らすより、いっそその道の書物でも借りて読む方が、要領を得る捷径《ちかみち》ではなかろうかと思いついた。宜道にそう云うと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥した。
「書物を読むのはごく悪うございます。有体《ありてい》に云うと、読書ほど修業の妨《さまたげ》になるものは無いようです。私共でも、こうして碧巌などを読みますが、自分の程度以上のところになると、まるで見当《けんとう》がつきません。それを好加減《いいかげん》に揣摩《しま》する癖がつくと、それが坐る時の妨になって、自分以上の境界《きょうがい》を予期して見たり、悟を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべきところに頓挫《とんざ》ができます。大変毒になりますから、御止しになった方がよいでしょう。もし強《し》いて何か御読みになりたければ、禅関策進《ぜんかんさくしん》というような、人の勇気を鼓舞《こぶ》したり激励したりするものが宜《よろ》しゅうございましょう。それだって、ただ刺戟《しげき》の方便として読むだけで、道その物とは無関係です」
宗助には宜道の意味がよく解らなかった。彼はこの生若《なまわか》い青い頭をした坊さんの前に立って、あたかも一個の低能児であるかのごとき心持を起した。彼の慢心は京都以来すでに銷磨《しょうま》し尽していた。彼は平凡を分として、今日《こんにち》まで生きて来た。聞達《ぶんたつ》ほど彼の心に遠いものはなかった。彼はただありのままの彼として、宜道の前に立ったのである。しかも平生の自分より遥《はる》かに無力無能な赤子《あかご》であると、さらに自分を認めざるを得なくなった。彼に取っては新らしい発見であった。同時に自尊心を根絶するほどの発見であった。
宜道が竈《へっつい》の火を消して飯をむらしている間に、宗助は台所から下りて庭の井戸端《いどばた》へ出て顔を洗った。鼻の先にはすぐ雑木山《ぞうきやま》が見えた。その裾《すそ》の少し平《たいら》な所を拓《ひら》いて、菜園が拵《こしら》えてあった。宗助は濡《ぬ》れた頭を冷たい空気に曝《さら》して、わざと菜園まで下りて行った。そうして、そこに崖《がけ》を横に掘った大きな穴を見出した。宗助はしばらくその前に立って、暗い奥の方を眺《なが》めていた。やがて、茶の間へ帰ると、囲炉裏《いろり》には暖かい火が起って、鉄瓶《てつびん》に湯の沸《たぎ》る音が聞えた。
「手がないものだから、つい遅くなりまして御気の毒です。すぐ御膳《ごぜん》に致しましょう。しかしこんな所だから上げるものがなくって困ります。その代り明日《あした》あたりは御馳走《ごちそう》に風呂《ふろ》でも立てましょう」と宜道が云ってくれた。宗助はありがたく囲炉裏《いろり》の向《むこう》に坐った。
やがて食事を了《お》えて、わが室《へや》へ帰った宗助は、また父母未生《ふぼみしょう》以前《いぜん》と云う稀有《けう》な問題を眼の前に据《す》えて、じっと眺《なが》めた。けれども、もともと筋の立たない、したがって発展のしようのない問題だから、いくら考えてもどこからも手を出す事はできなかった。そうして、すぐ考えるのが厭《いや》になった。宗助はふと御米にここへ着いた消息を書かなければならない事に気がついた。彼は俗用の生じたのを喜こぶごとくに、すぐ鞄《かばん》の中から巻紙と封じ袋を取り出して、御米にやる手紙を書き始めた。まずここの閑静な事、海に近いせいか、東京よりはよほど暖かい事、空気の清朗な事、紹介された坊さんの親切な事、食事の不味《まず》い事、夜具蒲団《やぐふとん》の綺麗《きれい》に行かない事、などを書き連ねているうちに、はや三尺余りの長さになったので、そこで筆を擱《お》いたが、公案に苦しめられている事や、坐禅をして膝《ひざ》の関節を痛くしている事や、考えるためにますます神経衰弱が劇《はげ》しくなりそうな事は、噫《おくび》にも出さなかった。彼はこの手紙に切手を貼《は》って、ポストに入れなければならない口実を求めて、早速山を下った。そうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅《おびや》かされながら、村の中をうろついて帰った。
午《ひる》には、宜道から話のあった居士《こじ》に会った。この居士は茶碗を出して、宜道に飯を盛《よそ》って貰《もら》うとき、憚《はば》かり様とも何とも云わずに、ただ合掌《がっしょう》して礼を述べたり、相図をしたりした。このくらい静かに物事を為《す》るのが法だとか云った。口を利《き》かず、音を立てないのは、考えの邪魔になると云う精神からだそうであった。それほど真剣にやるべきものをと、宗助は昨夜からの自分が、何となく恥ずかしく思われた。
食後三人は囲炉裏の傍《はた》でしばらく話した。その時居士は、自分が坐禅をしながら、いつか気がつかずにうとうとと眠ってしまっていて、はっと正気に帰る間際《まぎわ》に、おや悟ったなと喜ぶことがあるが、さていよいよ眼を開《あ》いて見ると、やっぱり元の通の自分なので失望するばかりだと云って、宗助を笑わした。こう云う気楽な考で、参禅している人もあると思うと、宗助も多少は寛《くつ》ろいだ。けれども三人が分れ分れに自分の室《へや》に入る時、宜道が、
「今夜は御誘い申しますから、これから夕方までしっかり御坐りなさいまし」と真面目《まじめ》に勧《すす》めたとき、宗助はまた一種の責任を感じた。消化《こな》れない堅い団子が胃に滞《とどこ》おっているような不安な胸を抱《いだ》いて、わが室へ帰って来た。そうしてまた線香を焚《た》いて坐わり出した。その癖《くせ》夕方までは坐り続けられなかった。どんな解答にしろ一つ拵《こし》らえておかなければならないと思いながらも、しまいには根気が尽きて、早く宜道が夕食《ゆうめし》の報知《しらせ》に本堂を通り抜けて来てくれれば好いと、そればかり気にかかった。
日は懊悩《おうのう》と困憊《こんぱい》の裡《うち》に傾むいた。障子《しょうじ》に映る時の影がしだいに遠くへ立ち退《の》くにつれて、寺の空気が床《ゆか》の下から冷え出した。風は朝から枝を吹かなかった。縁側《えんがわ》に出て、高い庇《ひさし》を仰ぐと、黒い瓦《かわら》の小口だけが揃《そろ》って、長く一列に見える外に、穏《おだや》かな空が、蒼《あお》い光をわが底の方に沈めつつ、自分と薄くなって行くところであった。
十九
「危険《あぶの》うございます」と云って宜道《ぎどう》は一足先へ暗い石段を下りた。宗助《そうすけ》はあとから続いた。町と違って夜になると足元が悪いので、宜道は提灯《ちょうちん》を点《つ》けてわずか一丁ばかりの路《みち》を照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から二人の頭に蔽《お》い被《かぶ》さるように空を遮《さえぎ》った。闇《やみ》だけれども蒼い葉の色が二人の着物の織目に染み込むほどに宗助を寒がらせた。提灯の灯《ひ》にもその色が多少映る感じがあった。その提灯は一方に大きな樹の幹を想像するせいか、はなはだ小さく見えた。光の地面に届く尺数もわずかであった。照らされた部分は明るい灰色の断片となって暗い中にほっかり落ちた。そうして二人の影が動くに伴《つ》れて動いた。
蓮池《れんち》を行き過ぎて、左へ上《のぼ》る所は、夜はじめての宗助に取って、少し足元が滑《なめら》かに行かなかった。土の中に根を食っている石に、一二度|下駄《げた》の台を引っ掛けた。蓮池の手前から横に切れる裏路もあるが、この方は凸凹《とつおう》が多くて、慣《な》れない宗助には近くても不便だろうと云うので、宜道はわざわざ広い方を案内したのである。
玄関を入ると、暗い土間に下駄がだいぶ並んでいた。宗助は曲《こご》んで、人の履物《はきもの》を踏まないようにそっと上へのぼった。室《へや》は八畳ほどの広さであった。その壁際《かべぎわ》に列を作って、六七人の男が一側《ひとかわ》に並んでいた。中に頭を光らして、黒い法衣《ころも》を着た僧も交っていた。他《ほか》のものは大概|袴《はかま》を穿《は》いていた。この六七人の男は上《あが》り口《ぐち》と奥へ通ずる三尺の廊下《ろうか》口を残して、行儀よく鉤《かぎ》の手《て》に並んでいた。そうして、一言《ひとこと》も口を利《き》かなかった。宗助はこれらの人の顔を一目見て、まずその峻刻《しゅんこく》なのに気を奪われた。彼らは皆固く口を結んでいた。事ありげな眉《まゆ》を強く寄せていた。傍《そば》にどんな人がいるか見向きもしなかった。いかなるものが外から入って来ても、全く注意しなかった。彼らは活きた彫刻のように己《おの》れを持して、火の気のない室《へや》に粛然《しゅくぜん》と坐っていた。宗助の感覚には、山寺の寒さ以上に、一種|厳《おごそ》かな気が加わった。
やがて寂寞《せきばく》の中《うち》に、人の足音が聞えた。初は微《かす》かに響いたが、しだいに強く床《ゆか》を踏んで、宗助の坐っている方へ近づいて来た。しまいに一人の僧が廊下口からぬっと現れた。そうして宗助の傍《そば》を通って、黙って外の暗がりへ抜けて行った。すると遠くの奥の方で鈴《れい》を振る音がした。
この時宗助と並んで厳粛《げんしゅく》に控えていた男のうちで、小倉《こくら》の袴《はかま》を着けた一人が、やはり無言のまま立ち上がって、室の隅《すみ》の廊下口の真正面へ来て着座した。そこには高さ二尺幅一尺ほどの木の枠《わく》の中に、銅鑼《どら》のような形をした、銅鑼よりも、ずっと重くて厚そうなものがかかっていた。色は蒼黒《あおぐろ》く貧しい灯《ひ》に照らされていた。袴を着けた男は、台の上にある撞木《しゅもく》を取り上げて、銅鑼に似た鐘の真中を
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