できた。けれども広い寒さを照らすには余りに弱過ぎた。夜は戸《と》ごとの瓦斯《ガス》と電灯を閑却《かんきゃく》して、依然として暗く大きく見えた。宗助はこの世界と調和するほどな黒味の勝った外套《マント》に包まれて歩いた。その時彼は自分の呼吸する空気さえ灰色になって、肺の中の血管に触れるような気がした。
 彼はこの晩に限って、ベルを鳴らして忙がしそうに眼の前を往ったり来たりする電車を利用する考《かんがえ》が起らなかった。目的を有《も》って途《みち》を行く人と共に、抜目なく足を運ばす事を忘れた。しかも彼は根の締《しま》らない人間として、かく漂浪《ひょうろう》の雛形《ひながた》を演じつつある自分の心を省《かえり》みて、もしこの状態が長く続いたらどうしたらよかろうと、ひそかに自分の未来を案じ煩《わずら》った。今日《こんにち》までの経過から推《お》して、すべての創口《きずぐち》を癒合《ゆごう》するものは時日であるという格言を、彼は自家の経験から割り出して、深く胸に刻みつけていた。それが一昨日《おととい》の晩にすっかり崩《くず》れたのである。
 彼は黒い夜の中を歩るきながら、ただどうかしてこの心から逃れ出たいと思った。その心はいかにも弱くて落ちつかなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知《けち》に見えた。彼は胸を抑《おさ》えつける一種の圧迫の下《もと》に、いかにせば、今の自分を救う事ができるかという実際の方法のみを考えて、その圧迫の原因になった自分の罪や過失は全くこの結果から切り放してしまった。その時の彼は他《ひと》の事を考える余裕《よゆう》を失って、ことごとく自己本位になっていた。今までは忍耐で世を渡って来た。これからは積極的に人世観を作り易《か》えなければならなかった。そうしてその人世観は口で述べるもの、頭で聞くものでは駄目であった。心の実質が太くなるものでなくては駄目であった。
 彼は行く行く口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれどもその響は繰り返す後《あと》からすぐ消えて行った。攫《つか》んだと思う煙が、手を開けるといつの間にか無くなっているように、宗教とははかない文字であった。
 宗教と関聯《かんれん》して宗助は坐禅《ざぜん》という記憶を呼び起した。昔し京都にいた時分彼の級友に相国寺《しょうこくじ》へ行って坐禅をするものがあった。当時彼はその迂濶《うかつ》を笑っていた。「今の世に……」と思っていた。その級友の動作が別に自分と違ったところもないようなのを見て、彼はますます馬鹿馬鹿しい気を起した。
 彼は今更ながら彼の級友が、彼の侮蔑《ぶべつ》に値《あたい》する以上のある動機から、貴重な時間を惜しまずに、相国寺へ行ったのではなかろうかと考え出して、自分の軽薄を深く恥じた。もし昔から世俗で云う通り安心《あんじん》とか立命《りつめい》とかいう境地に、坐禅の力で達する事ができるならば、十日《とおか》や二十日《はつか》役所を休んでも構わないからやって見たいと思った。けれども彼はこの道にかけては全くの門外漢であった。したがって、これより以上|明瞭《めいりょう》な考《かんがえ》も浮ばなかった。
 ようやく家《うち》へ辿《たど》り着いた時、彼は例のような御米と、例のような小六と、それから例のような茶の間と座敷と洋灯《ランプ》と箪笥《たんす》を見て、自分だけが例にない状態の下《もと》に、この四五時間を暮していたのだという自覚を深くした。火鉢《ひばち》には小さな鍋《なべ》が掛けてあって、その葢《ふた》の隙間《すきま》から湯気が立っていた。火鉢の傍《わき》には彼の常に坐る所に、いつもの座蒲団《ざぶとん》を敷いて、その前にちゃんと膳立《ぜんだて》がしてあった。
 宗助は糸底《いとぞこ》を上にしてわざと伏せた自分の茶碗と、この二三年来朝晩使い慣《な》れた木の箸《はし》を眺《なが》めて、
「もう飯は食わないよ」と云った。御米は多少不本意らしい風もした。
「おやそう。余《あんま》り遅いから、おおかたどこかで召上《めしや》がったろうとは思ったけれど、もしまだだといけないから」と云いながら、布巾《ふきん》で鍋《なべ》の耳を撮《つま》んで、土瓶敷《どびんしき》の上におろした。それから清《きよ》を呼んで膳《ぜん》を台所へ退《さ》げさした。
 宗助はこういう風に、何ぞ事故ができて、役所の退出《ひけ》からすぐ外へ回って遅くなる場合には、いつでもその顛末《てんまつ》の大略を、帰宅早々御米に話すのを例にしていた。御米もそれを聞かないうちは気がすまなかった。けれども今夜に限って彼は神田で電車を降りた事も、牛肉屋へ上った事も、無理に酒を呑《の》んだ事も、まるで話したくなかった。何も知らない御米はまた平常の通り無邪気にそれからそれへと聞きたがった。
「何別にこれという理由《わけ》もなかったのだけれども、――ついあすこいらで牛《ぎゅう》が食いたくなっただけの事さ」
「そうして御腹《おなか》を消化《こな》すために、わざわざここまで歩るいていらしったの」
「まあ、そうだ」
 御米はおかしそうに笑った。宗助はむしろ苦しかった。しばらくして、
「留守に坂井さんから迎いに来なかったかい」と聞いた。
「いいえ、なぜ」
「一昨日《おととい》の晩行ったとき、御馳走《ごちそう》するとか云っていたからさ」
「また?」
 御米は少し呆《あき》れた顔をした。宗助はそれなり話を切り上げて寝た。頭の中をざわざわ何か通った。時々眼を開けて見ると、例のごとく洋灯《ランプ》が暗くして床の間の上に載《の》せてあった。御米はさも心地好さそうに眠っていた。ついこの間までは、自分の方が好く寝られて、御米は幾晩も睡眠の不足に悩まされたのであった。宗助は眼を閉じながら、明らかに次の間の時計の音を聞かなければならない今の自分をさらに心苦しく感じた。その時計は最初は幾つも続けざまに打った。それが過ぎると、びんとただ一つ鳴った。その濁った音が彗星《ほうきぼし》の尾のようにほうと宗助の耳朶《みみたぶ》にしばらく響いていた。次には二つ鳴った。はなはだ淋《さみ》しい音であった。宗助はその間に、何とかして、もっと鷹揚《おうよう》に生きて行く分別をしなければならないと云う決心だけをした。三時は朦朧《もうろう》として聞えたような聞えないようなうちに過ぎた。四時、五時、六時はまるで知らなかった。ただ世の中が膨《ふく》れた。天が波を打って伸びかつ縮んだ。地球が糸で釣るした毬《まり》のごとくに大きな弧線《こせん》を描《えが》いて空間に揺《うご》いた。すべてが恐ろしい魔の支配する夢であった。七時過に彼ははっとして、この夢から覚《さ》めた。御米がいつもの通り微笑して枕元に曲《かが》んでいた。冴《さ》えた日は黒い世の中を疾《とく》にどこかへ追いやっていた。

        十八

 宗助《そうすけ》は一封の紹介状を懐《ふところ》にして山門《さんもん》を入った。彼はこれを同僚の知人の某《なにがし》から得た。その同僚は役所の往復に、電車の中で洋服の隠袋《かくし》から菜根譚《さいこんたん》を出して読む男であった。こう云う方面に趣味のない宗助は、固《もと》より菜根譚の何物なるかを知らなかった。ある日一つ車の腰掛に膝を並べて乗った時、それは何だと聞いて見た。同僚は小形の黄色い表紙を宗助の前に出して、こんな妙な本だと答えた。宗助は重ねてどんな事が書いてあるかと尋ねた。その時同僚は、一口に説明のできる格好《かっこう》な言葉を有《も》っていなかったと見えて、まあ禅学の書物だろうというような妙な挨拶《あいさつ》をした。宗助は同僚から聞いたこの返事をよく覚えていた。
 紹介状を貰う四五日前《しごんちまえ》、彼はこの同僚の傍《そば》へ行って、君は禅学をやるのかと、突然質問を掛けた。同僚は強く緊張した宗助の顔を見てすこぶる驚ろいた様子であったが、いややらない、ただ慰《なぐさ》み半分にあんな書物を読むだけだと、すぐ逃げてしまった。宗助は多少失望に弛《ゆる》んだ下唇《したくちびる》を垂れて自分の席に帰った。
 その日帰りがけに、彼らはまた同じ電車に乗り合わした。先刻《さっき》宗助の様子を、気の毒に観察した同僚は、彼の質問の奥に雑談以上のある意味を認めたものと見えて、前よりはもっと親切にその方面の話をして聞かした。しかし自分はいまだかつて参禅という事をした経験がないと自白した。もし詳《くわ》しい話が聞きたければ、幸い自分の知り合によく鎌倉へ行く男があるから紹介してやろうと云った。宗助は車の中でその人の名前と番地を手帳に書き留めた。そうして次の日同僚の手紙を持ってわざわざ回り道をして訪問に出かけた。宗助の懐《ふところ》にした書状はその折席上で認《したた》めて貰ったものであった。
 役所は病気になって十日ばかり休む事にした。御米《およね》の手前もやはり病気だと取り繕《つくろ》った。
「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊《あす》んで来るよ」と云った。御米はこの頃の夫の様子のどこかに異状があるらしく思われるので、内心では始終《しじゅう》心配していた矢先だから、平生煮え切らない宗助の果断を喜んだ。けれどもその突然なのにも全く驚ろいた。
「遊びに行くって、どこへいらっしゃるの」と眼を丸くしないばかりに聞いた。
「やっぱり鎌倉辺が好かろうと思っている」と宗助は落ちついて答えた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とはほとんど縁の遠いものであった。突然二つのものを結びつけるのは滑稽《こっけい》であった。御米も微笑を禁じ得なかった。
「まあ御金持ね。私《わたし》もいっしょに連れてってちょうだい」と云った。宗助は愛すべき細君のこの冗談《じょうだん》を味わう余裕を有たなかった。真面目《まじめ》な顔をして、
「そんな贅沢《ぜいたく》な所へ行くんじゃないよ。禅寺へ留《と》めて貰《もら》って、一週間か十日、ただ静かに頭を休めて見るだけの事さ。それもはたして好くなるか、ならないか分らないが、空気のいい所へ行くと、頭には大変違うと皆《みんな》云うから」と弁解した。
「そりゃ違いますわ。だから行っていらっしゃいとも。今のは本当の冗談よ」
 御米は善良な夫に調戯《からか》ったのを、多少済まないように感じた。宗助はその翌日《あくるひ》すぐ貰って置いた紹介状を懐《ふところ》にして、新橋から汽車に乗ったのである。
 その紹介状の表には釈宜道《しゃくぎどう》様と書いてあった。
「この間まで侍者《じしゃ》をしていましたが、この頃では塔頭《たっちゅう》にある古い庵室に手を入れて、そこに住んでいるとか聞きました。どうですか、まあ着いたら尋ねて御覧なさい。庵の名はたしか一窓庵《いっそうあん》でした」と書いてくれる時、わざわざ注意があったので、宗助は礼を云って手紙を受取りながら、侍者《じしゃ》だの塔頭《たっちゅう》だのという自分には全く耳新らしい言葉の説明を聞いて帰ったのである。
 山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮《さえぎ》っているために、路が急に暗くなった。その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚《さと》った。静かな境内《けいだい》の入口に立った彼は、始めて風邪《ふうじゃ》を意識する場合に似た一種の悪寒《さむけ》を催した。
 彼はまず真直《まっすぐ》に歩るき出した。左右にも行手《いくて》にも、堂のようなものや、院のようなものがちょいちょい見えた。けれども人の出入《でいり》はいっさいなかった。ことごとく寂寞《せきばく》として錆《さ》び果《は》てていた。宗助はどこへ行って、宜道《ぎどう》のいる所を教えて貰おうかと考えながら、誰も通らない路の真中に立って四方を見回《みまわ》した。
 山の裾《すそ》を切り開いて、一二丁奥へ上《のぼ》るように建てた寺だと見えて、後《うしろ》の方は樹《き》の色で高く塞《ふさ》がっていた。路の左右も山続《やまつづき》か丘続の地勢に制せられて、けっして平ではないようであった。その小高い所々に、下から石段を畳んで、寺らしい門を高く構えたのが二三軒目に着いた。平地
前へ 次へ
全34ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング