疲労して、書斎のなかで精神を休める必要が起るのだそうであった。
宗助はそういう方面にまるで経験のない男ではなかったので、強《し》いて興味を装《よそお》う必要もなく、ただ尋常な挨拶《あいさつ》をするところが、かえって主人の気に入るらしかった。彼は平凡な宗助の言葉のなかから、一種異彩のある過去を覗《のぞ》くような素振《そぶり》を見せた。しかしそちらへは宗助が進みたがらない痕迹《こんせき》が少しでも出ると、すぐ話を転じた。それは政略よりもむしろ礼譲からであった。したがって宗助には毫《ごう》も不愉快を与えなかった。
そのうち小六の噂《うわさ》が出た。主人はこの青年について、肉身の兄が見逃すような新らしい観察を、二三|有《も》っていた。宗助は主人の評語を、当ると当らないとに論なく、面白く聞いた。そのなかに、彼は年に合わしては複雑な実用に適しない頭を有っていながら、年よりも若い単純な性情を平気で露《あら》わす子供じゃないかという質問があった。宗助はすぐそれを首肯《うけが》った。しかし学校教育だけで社会教育のないものは、いくら年を取ってもその傾《かたむき》があるだろうと答えた。
「さよう、それと反対で、社会教育だけあって学校教育のないものは、随分複雑な性情を発揮する代りに、頭はいつまでも小供ですからね。かえって始末が悪いかも知れない」
主人はここでちょっと笑ったが、やがて、
「どうです、私《わたし》の所へ書生に寄こしちゃ、少しは社会教育になるかも知れない」と云った。主人の書生は彼の犬が病気で病院へ這入《はい》る一カ月前とかに、徴兵検査に合格して入営したぎり今では一人もいないのだそうであった。
宗助は小六の所置をつける好機会が、求めざるに先だって、春と共に自《おのず》から回《めぐ》って来たのを喜こんだ。同時に、今まで世間に向って、積極的に好意と親切を要求する勇気を有《も》たなかった彼は、突然この主人の申《もう》し出《いで》に逢って少しまごつくくらい驚ろいた。けれどもできるならなりたけ早く弟を坂井に預けて置いて、この変動から出る自分の余裕《よゆう》に、幾分か安之助の補助を足して、そうして本人の希望通り、高等の教育を受けさしてやろうという分別をした。そこで打ち明けた話を腹蔵なく主人にすると、主人はなるほどなるほどと聞いているだけであったが、しまいに雑作《ぞうさ》なく、
「そいつは好いでしょう」と云ったので、相談はほぼその座で纏《まと》まった。
宗助はそこで辞して帰ればよかったのである。また辞して帰ろうとしたのである。ところが主人からまあ緩《ゆっ》くりなさいと云って留められた。主人は夜は長い、まだ宵《よい》だと云って時計まで出して見せた。実際彼は退屈らしかった。宗助も帰ればただ寝るよりほかに用のない身体《からだ》なので、ついまた尻を据《す》えて、濃い煙草《たばこ》を新らしく吹かし始めた。しまいには主人の例に傚《なら》って、柔らかい座蒲団《ざぶとん》の上で膝《ひざ》さえ崩《くず》した。
主人は小六の事に関聯して、
「いや弟《おとと》などを有っていると、随分|厄介《やっかい》なものですよ。私《わたくし》も一人やくざなのを世話をした覚がありますがね」と云って、自分の弟が大学にいるとき金のかかった事などを、自分が学生時代の質朴《しつぼく》さに比べていろいろ話した。宗助はこの派出好《はでずき》な弟が、その後どんな径路を取って、どう発展したかを、気味の悪い運命の意思を窺《うかが》う一端として、主人に聞いて見た。主人は卒然
「冒険者《アドヴェンチュアラー》」と、頭も尾《しっぽ》もない一句を投げるように吐いた。
この弟は卒業後主人の紹介で、ある銀行に這入《はい》ったが、何でも金を儲《もう》けなくっちゃいけないと口癖のように云っていたそうで、日露戦争後間もなく、主人の留めるのも聞かずに、大いに発展して見たいとかとなえてついに満洲へ渡ったのだと云う。そこで何を始めるかと思うと、遼河《りょうが》を利用して、豆粕大豆《まめかすだいず》を船で下《くだ》す、大仕掛な運送業を経営して、たちまち失敗してしまったのだそうである。元より当人は、資本主ではなかったのだけれども、いよいよという暁《あかつき》に、勘定して見ると大きな欠損と事がきまったので、無論事業は継続する訳に行かず、当人は必然の結果、地位を失ったぎりになった。
「それから後《あと》私《わたし》もどうしたかよく知らなかったんですが、その後《のち》ようやく聞いて見ると、驚ろきましたね。蒙古《もうこ》へ這入って漂浪《うろつ》いているんです。どこまで山気《やまぎ》があるんだか分らないんで、私も少々|剣呑《けんのん》になってるんですよ。それでも離れているうちは、まあどうかしているだろうぐらいに思って放っておきます。時たま音便《たより》があったって、蒙古《もうこ》という所は、水に乏しい所で、暑い時には往来へ泥溝《どぶ》の水を撒《ま》くとかね、またはその泥溝の水が無くなると、今度は馬の小便を撒くとか、したがってはなはだ臭いとか、まあそんな手紙が来るだけですから、――そりゃあ金の事も云って来ますが、なに東京と蒙古だから打遣《うちや》っておけばそれまでです。だから離れてさえいれば、まあいいんですが、そいつが去年の暮突然出て来ましてね」
主人は思いついたように、床の柱にかけた、綺麗《きれい》な房のついた一種の装飾物を取りおろした。
それは錦の袋に這入《はい》った一尺ばかりの刀であった。鞘《さや》は何《なに》とも知れぬ緑色の雲母《きらら》のようなものでできていて、その所々が三カ所ほど巻いてあった。中身は六寸ぐらいしかなかった。したがって刃《は》も薄かった。けれども鞘の格好《かっこう》はあたかも六角の樫《かし》の棒のように厚かった。よく見ると、柄《つか》の後《うしろ》に細い棒が二本並んで差さっていた。結果は鞘を重ねて離れないために銀の鉢巻をしたと同じであった。主人は
「土産《みやげ》にこんなものを持って来ました。蒙古刀《もうことう》だそうです」と云いながら、すぐ抜いて見せた。後《うしろ》に差してあった象牙《ぞうげ》のような棒も二本抜いて見せた。
「こりゃ箸《はし》ですよ。蒙古人は始終《しじゅう》これを腰へぶら下げていて、いざ御馳走《ごちそう》という段になると、この刀を抜いて肉を切って、そうしてこの箸で傍《そば》から食うんだそうです」
主人はことさらに刀と箸を両手に持って、切ったり食ったりする真似をして見せた。宗助はひたすらにその精巧な作りを眺《なが》めた。
「まだ蒙古人の天幕《テント》に使うフェルトも貰いましたが、まあ昔の毛氈《もうせん》と変ったところもありませんね」
主人は蒙古人の上手に馬を扱う事や、蒙古犬の瘠《や》せて細長くて、西洋のグレー・ハウンドに似ている事や、彼らが支那人のためにだんだん押し狭《せば》められて行く事や、――すべて近頃あっちから帰ったという弟に聞いたままを宗助に話した。宗助はまた自分のいまだかつて耳にした事のない話だけに、一々少なからぬ興味を有《も》ってそれを聞いて行った。そのうちに、元来この弟は蒙古で何をしているのだろうという好奇心が出た。そこでちょっと主人に尋ねて見ると、主人は、
「冒険者《アドヴェンチュアラー》」と再び先刻《さっき》の言葉を力強く繰り返した。「何をしているか分らない。私には、牧畜をやっています。しかも成功していますと云うんですがね、いっこう当《あて》にはなりません。今までもよく法螺《ほら》を吹いて私を欺《だま》したもんです。それに今度東京へ出て来た用事と云うのがよっぽど妙です。何とか云う蒙古王のために、金を二万円ばかり借りたい。もし借してやらないと自分の信用に関わるって奔走しているんですからね。そのとっぱじめに捕まったのは私だが、いくら蒙古王だって、いくら広い土地を抵当にするったって、蒙古と東京じゃ催促さえできやしませんもの。で、私が断ると、蔭《かげ》へ廻って妻《さい》に、兄さんはあれだから大きな仕事ができっこないって、威張っているんです。しようがない」
主人はここで少し笑ったが、妙に緊張した宗助の顔を見て、
「どうです一遍逢って御覧になっちゃ、わざわざ毛皮の着いただぶだぶしたものなんか着て、ちょっと面白いですよ。何なら御紹介しましょう。ちょうど明後日《あさって》の晩呼んで飯を食わせる事になっているから。――なに引っ掛っちゃいけませんがね。黙って向《むこう》に喋舌《しゃべ》らして、聞いている分には、少しも危険はありません。ただ面白いだけです」としきりに勧《すす》め出した。宗助は多少心を動かした。
「おいでになるのは御令弟だけですか」
「いやほかに一人|弟《おとと》の友達で向《むこう》からいっしょに来たものが、来るはずになっています。安井とか云って私はまだ逢った事もない男ですが、弟がしきりに私に紹介したがるから、実はそれで二人を呼ぶ事にしたんです」
宗助はその夜|蒼《あお》い顔をして坂井の門を出た。
十七
宗助《そうすけ》と御米《およね》の一生を暗く彩《いろ》どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊《ゆうれい》のような思をどこかに抱《いだ》かしめた。彼らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜《ひそ》んでいるのを、仄《ほの》かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過した。
当初彼らの頭脳に痛く応《こた》えたのは、彼らの過《あやまち》が安井の前途に及ぼした影響であった。二人の頭の中で沸《わ》き返った凄《すご》い泡《あわ》のようなものがようやく静まった時、二人は安井もまた半途で学校を退《しりぞ》いたという消息を耳にした。彼らは固《もと》より安井の前途を傷《きずつ》けた原因をなしたに違なかった。次に安井が郷里に帰ったという噂《うわさ》を聞いた。次に病気に罹《かか》って家に寝ているという報知《しらせ》を得た。二人はそれを聞くたびに重い胸を痛めた。最後に安井が満洲に行ったと云う音信《たより》が来た。宗助は腹の中で、病気はもう癒《なお》ったのだろうかと思った。または満洲行の方が嘘《うそ》ではなかろうかと考えた。安井は身体《からだ》から云っても、性質から云っても、満洲や台湾に向く男ではなかったからである。宗助はできるだけ手を回して、事の真疑を探った。そうして、或る関係から、安井がたしかに奉天にいる事を確め得た。同時に彼の健康で、活溌《かっぱつ》で、多忙である事も確め得た。その時夫婦は顔を見合せて、ほっという息を吐《つ》いた。
「まあよかろう」と宗助が云った。
「病気よりはね」と御米が云った。
二人はそれから以後安井の名を口にするのを避けた。考え出す事さえもあえてしなかった。彼らは安井を半途で退学させ、郷里へ帰らせ、病気に罹らせ、もしくは満洲へ駆《か》りやった罪に対して、いかに悔恨の苦しみを重ねても、どうする事もできない地位に立っていたからである。
「御米、御前信仰の心が起った事があるかい」と或時宗助が御米に聞いた。御米は、ただ、
「あるわ」と答えただけで、すぐ「あなたは」と聞き返した。
宗助は薄笑いをしたぎり、何とも答えなかった。その代り推《お》して、御米の信仰について、詳しい質問も掛けなかった。御米には、それが仕合《しあわ》せかも知れなかった。彼女はその方面に、これというほど判然《はっきり》した凝《こ》り整った何物も有《も》っていなかったからである。二人はとかくして会堂の腰掛《ベンチ》にも倚《よ》らず、寺院の門も潜《くぐ》らずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日《つきひ》と云う緩和剤《かんわざい》の力だけで、ようやく落ちついた。時々遠くから不意に現れる訴《うったえ》も、苦しみとか恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまり微《かす》かに、あまり薄く、あまりに肉体と慾得を離れ過ぎるようになった。必竟《ひっきょう》ずるに、彼らの信仰は、神を得なかったため、仏《ほとけ》に逢わなかったため、互を目標《めじるし》として働
前へ
次へ
全34ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング