いたずらにむず痒《がゆ》く彼の身体の中を流れた。彼は腕組をして、坐《い》ながら四方の山を眺めた。そうして、
「もうこんな古臭い所には厭きた」と云った。
安井は笑いながら、比較のため、自分の知っている或友達の故郷の物語をして宗助に聞かした。それは浄瑠璃《じょうるり》の間《あい》の土山《つちやま》雨が降るとある有名な宿《しゅく》の事であった。朝起きてから夜寝るまで、眼に入るものは山よりほかにない所で、まるで擂鉢《すりばち》の底に住んでいると同じ有様だと告げた上、安井はその友達の小さい時分の経験として、五月雨《さみだれ》の降りつづく折などは、小供心に、今にも自分の住んでいる宿《しゅく》が、四方の山から流れて来る雨の中に浸《つ》かってしまいそうで、心配でならなかったと云う話をした。宗助はそんな擂鉢の底で一生を過す人の運命ほど情ないものはあるまいと考えた。
「そう云う所に、人間がよく生きていられるな」と不思議そうな顔をして安井に云った。安井も笑っていた。そうして土山《つちやま》から出た人物の中《うち》では、千両函《せんりょうばこ》を摩《す》り替《か》えて磔《はりつけ》になったのが一番大きいのだと云う一口話をやはり友達から聞いた通り繰り返した。狭い京都に飽きた宗助は、単調な生活を破る色彩として、そう云う出来事も百年に一度ぐらいは必要だろうとまで思った。
その時分の宗助の眼は、常に新らしい世界にばかり注《そそ》がれていた。だから自然がひととおり四季の色を見せてしまったあとでは、再び去年の記憶を呼び戻すために、花や紅葉《もみじ》を迎える必要がなくなった。強く烈《はげ》しい命に生きたと云う証券を飽《あ》くまで握りたかった彼には、活《い》きた現在と、これから生れようとする未来が、当面の問題であったけれども、消えかかる過去は、夢同様に価《あたい》の乏しい幻影に過ぎなかった。彼は多くの剥《は》げかかった社《やしろ》と、寂果《さびは》てた寺を見尽して、色の褪《さ》めた歴史の上に、黒い頭を振り向ける勇気を失いかけた。寝耄《ねぼ》けた昔に※[#「彳+低のつくり」、第3水準1−84−31]徊《ていかい》するほど、彼の気分は枯れていなかったのである。
学年の終りに宗助と安井とは再会を約して手を分った。安井はひとまず郷里の福井へ帰って、それから横浜へ行くつもりだから、もしその時には手紙を出して通知をしよう、そうしてなるべくならいっしょの汽車で京都へ下《くだ》ろう、もし時間が許すなら、興津《おきつ》あたりで泊って、清見寺《せいけんじ》や三保《みほ》の松原や、久能山《くのうざん》でも見ながら緩《ゆっ》くり遊んで行こうと云った。宗助は大いによかろうと答えて、腹のなかではすでに安井の端書《はがき》を手にする時の心持さえ予想した。
宗助が東京へ帰ったときは、父は固《もと》よりまだ丈夫であった。小六《ころく》は子供であった。彼は一年ぶりに殷《さか》んな都の炎熱と煤煙《ばいえん》を呼吸するのをかえって嬉《うれ》しく感じた。燬《や》くような日の下に、渦《うず》を捲《ま》いて狂い出しそうな瓦《かわら》の色が、幾里となく続く景色《けしき》を、高い所から眺めて、これでこそ東京だと思う事さえあった。今の宗助なら目を眩《まわ》しかねない事々物々が、ことごとく壮快の二字を彼の額に焼き付けべく、その時は反射して来たのである。
彼の未来は封じられた蕾《つぼみ》のように、開かない先は他《ひと》に知れないばかりでなく、自分にも確《しか》とは分らなかった。宗助はただ洋々の二字が彼の前途に棚引《たなび》いている気がしただけであった。彼はこの暑い休暇中にも卒業後の自分に対する謀《はかりごと》を忽《ゆる》がせにはしなかった。彼は大学を出てから、官途につこうか、または実業に従おうか、それすら、まだ判然《はっきり》と心にきめていなかったにかかわらず、どちらの方面でも構わず、今のうちから、進めるだけ進んでおく方が利益だと心づいた。彼は直接父の紹介を得た。父を通して間接にその知人の紹介を得た。そうして自分の将来を影響し得るような人を物色して、二三の訪問を試みた。彼らのあるものは、避暑という名義の下《もと》に、すでに東京を離れていた。あるものは不在であった。またあるものは多忙のため時を期して、勤務先で会おうと云った。宗助は日のまだ高くならない七時頃に、昇降器《エレヴェーター》で煉瓦造《れんがづくり》の三階へ案内されて、そこの応接間に、もう七八人も自分と同じように、同じ人を待っている光景を見て驚ろいた事もあった。彼はこうして新らしい所へ行って、新らしい物に接するのが、用向の成否に関わらず、今まで眼に付かずに過ぎた活《い》きた世界の断片を頭へ詰め込むような気がして何となく愉快であった。
父の云いつけで、毎年の通り虫干の手伝をさせられるのも、こんな時には、かえって興味の多い仕事の一部分に数えられた。彼は冷たい風の吹き通す土蔵の戸前《とまえ》の湿《しめ》っぽい石の上に腰を掛けて、古くから家にあった江戸名所図会《えどめいしょずえ》と、江戸砂子《えどすなご》という本を物珍しそうに眺めた。畳まで熱くなった座敷の真中へ胡坐《あぐら》を掻《か》いて、下女の買って来た樟脳《しょうのう》を、小さな紙片《かみぎれ》に取り分けては、医者でくれる散薬のような形に畳んだ。宗助は小供の時から、この樟脳の高い香《かおり》と、汗の出る土用と、炮烙灸《ほうろくぎゅう》と、蒼空《あおぞら》を緩《ゆる》く舞う鳶《とび》とを連想していた。
とかくするうちに節《せつ》は立秋に入った。二百十日の前には、風が吹いて、雨が降った。空には薄墨《うすずみ》の煮染《にじ》んだような雲がしきりに動いた。寒暖計が二三日下がり切りに下がった。宗助はまた行李《こうり》を麻縄で絡《から》げて、京都へ向う支度をしなければならなくなった。
彼はこの間にも安井と約束のある事は忘れなかった。家《うち》へ帰った当座は、まだ二カ月も先の事だからと緩くり構えていたが、だんだん時日が逼《せま》るに従って、安井の消息が気になってきた。安井はその後一枚の端書《はがき》さえ寄こさなかったのである。宗助は安井の郷里の福井へ向けて手紙を出して見た。けれども返事はついに来なかった。宗助は横浜の方へ問い合わせて見ようと思ったが、つい番地も町名も聞いて置かなかったので、どうする事もできなかった。
立つ前の晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求通り、普通の旅費以外に、途中で二三日滞在した上、京都へ着いてからの当分の小遣《こづかい》を渡して、
「なるたけ節倹《せっけん》しなくちゃいけない」と諭《さと》した。
宗助はそれを、普通の子が普通の親の訓戒を聞く時のごとくに聞いた。父はまた、
「来年また帰って来るまでは会わないから、随分気をつけて」と云った。その帰って来る時節には、宗助はもう帰れなくなっていたのである。そうして帰って来た時は、父の亡骸《なきがら》がもう冷たくなっていたのである。宗助は今に至るまでその時の父の面影《おもかげ》を思い浮べてはすまないような気がした。
いよいよ立つと云う間際《まぎわ》に、宗助は安井から一通の封書を受取った。開いて見ると、約束通りいっしょに帰るつもりでいたが、少し事情があって先へ立たなければならない事になったからと云う断《ことわり》を述べた末に、いずれ京都で緩《ゆっ》くり会おうと書いてあった。宗助はそれを洋服の内懐《うちぶところ》に押し込んで汽車に乗った。約束の興津《おきつ》へ来たとき彼は一人でプラットフォームへ降りて、細長い一筋町を清見寺《せいけんじ》の方へ歩いた。夏もすでに過ぎた九月の初なので、おおかたの避暑客は早く引き上げた後だから、宿屋は比較的閑静であった。宗助は海の見える一室の中に腹這《はらばい》になって、安井へ送る絵端書《えはがき》へ二三行の文句を書いた。そのなかに、君が来ないから僕一人でここへ来たという言葉を入れた。
翌日も約束通り一人で三保《みほ》と竜華寺《りゅうげじ》を見物して、京都へ行ってから安井に話す材料をできるだけ拵《こしら》えた。しかし天気のせいか、当《あて》にした連《つれ》のないためか、海を見ても、山へ登っても、それほど面白くなかった。宿にじっとしているのは、なお退屈であった。宗助は匆々《そうそう》にまた宿の浴衣《ゆかた》を脱《ぬ》ぎ棄《す》てて、絞《しぼ》りの三尺と共に欄干《らんかん》に掛けて、興津を去った。
京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、往来の日影を知らずに暮らした。二日目になってようやく学校へ出て見ると、教師はまだ出揃《でそろ》っていなかった。学生も平日《いつも》よりは数が不足であった。不審な事には、自分より三四《さんよ》っ日《か》前に帰っているべきはずの安井の顔さえどこにも見えなかった。宗助はそれが気にかかるので、帰りにわざわざ安井の下宿へ回って見た。安井のいる所は樹と水の多い加茂《かも》の社《やしろ》の傍であった。彼は夏休み前から、少し閑静な町外れへ移って勉強するつもりだとか云って、わざわざこの不便な村同様な田舎《いなか》へ引込んだのである。彼の見つけ出した家からが寂《さび》た土塀《どべい》を二方に回《めぐ》らして、すでに古風に片づいていた。宗助は安井から、そこの主人はもと加茂神社の神官の一人であったと云う話を聞いた。非常に能弁な京都言葉を操《あやつ》る四十ばかりの細君がいて、安井の世話をしていた。
「世話って、ただ不味《まず》い菜《さい》を拵《こし》らえて、三度ずつ室《へや》へ運んでくれるだけだよ」と安井は移り立てからこの細君の悪口を利《き》いていた。宗助は安井をここに二三度訪ねた縁故で、彼のいわゆる不味い菜を拵らえる主《ぬし》を知っていた。細君の方でも宗助の顔を覚えていた。細君は宗助を見るや否や、例の柔かい舌で慇懃《いんぎん》な挨拶《あいさつ》を述べた後、こっちから聞こうと思って来た安井の消息を、かえって向うから尋ねた。細君の云うところによると、彼は郷里へ帰ってから当日に至るまで、一片の音信さえ下宿へは出さなかったのである。宗助は案外な思で自分の下宿へ帰って来た。
それから一週間ほどは、学校へ出るたんびに、今日は安井の顔が見えるか、明日《あす》は安井の声がするかと、毎日|漠然《ばくぜん》とした予期を抱《いだ》いては教室の戸を開けた。そうして毎日また漠然とした不足を感じては帰って来た。もっとも最後の三四日における宗助は早く安井に会いたいと思うよりも、少し事情があるから、失敬して先へ立つとわざわざ通知しながら、いつまで待っても影も見せない彼の安否を、関係者としてむしろ気にかけていたのである。彼は学友の誰彼に万遍《まんべん》なく安井の動静を聞いて見た。しかし誰も知るものはなかった。ただ一人が、昨夕《ゆうべ》四条の人込の中で、安井によく似た浴衣《ゆかた》がけの男を見たと答えた事があった。しかし宗助にはそれが安井だろうとは信じられなかった。ところがその話を聞いた翌日、すなわち宗助が京都へ着いてから約一週間の後、話の通りの服装《なり》をした安井が、突然宗助の所へ尋ねて来た。
宗助は着流しのまま麦藁帽《むぎわらぼう》を手に持った友達の姿を久し振に眺めた時、夏休み前の彼の顔の上に、新らしい何物かがさらに付け加えられたような気がした。安井は黒い髪に油を塗って、目立つほど奇麗《きれい》に頭を分けていた。そうして今床屋へ行って来たところだと言訳らしい事を云った。
その晩彼は宗助と一時間余りも雑談に耽《ふけ》った。彼の重々しい口の利き方、自分を憚《はば》かって、思い切れないような話の調子、「しかるに」と云う口癖、すべて平生の彼と異なる点はなかった。ただ彼はなぜ宗助より先へ横浜を立ったかを語らなかった。また途中どこで暇取《ひまど》ったため、宗助より後《おく》れて京都へ着いたかを判然《はっきり》告げなかった。しかし彼は三四日前ようやく京都へ着いた事だけを明かにした。そうして、夏休み前にいた下宿へはまだ
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