ている風につけ足して、生温《なまぬる》い眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙ってしまった。
「あなた御菓子食べなくって」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、
「ええ食べます」と云う小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いになった。
 電車の終点から歩くと二十分近くもかかる山の手の奥だけあって、まだ宵《よい》の口《くち》だけれども、四隣《あたり》は存外静かである。時々表を通る薄歯の下駄の響が冴《さ》えて、夜寒《よさむ》がしだいに増して来る。宗助は懐手《ふところで》をして、
「昼間は暖《あっ》たかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿じゃもう蒸汽《スチーム》を通しているかい」と聞いた。
「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっちゃ、蒸汽なんか焚《た》きゃしません」
「そうかい。それじゃ寒いだろう」
「ええ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりですが」と云ったまま、小六はすこし云い淀《よど》んでいたが、しまいにとうとう思い切って、
「兄さん、佐伯《さえき》の方はいったいどうなるんでしょう。先刻《さっき》姉さんから聞いたら、今日手紙を出して下
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