湯の敷居を跨《また》がずに過してしまう。日曜になったら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗《きれい》な湯に首だけ浸《つか》ってみようと、常は考えているが、さてその日曜が来て見ると、たまに悠《ゆっ》くり寝られるのは、今日ばかりじゃないかと云う気になって、つい床のうちでぐずぐずしているうちに、時間が遠慮なく過ぎて、ええ面倒だ、今日はやめにして、その代り今度《こんだ》の日曜に行こうと思い直すのが、ほとんど惰性のようになっている。
「どうかして、朝湯にだけは行きたいね」と宗助が云った。
「その癖朝湯に行ける日は、きっと寝坊《ねぼう》なさるのね」と細君は調戯《からか》うような口調であった。小六は腹の中でこれが兄の性来《うまれつき》の弱点であると思い込んでいた。彼は自分で学校生活をしているにもかかわらず、兄の日曜が、いかに兄にとって貴《たっ》といかを会得《えとく》できなかった。六日間の暗い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいる。だからやりたい事があり過ぎて、十の二三も実行できない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると、かえってそのために費やす時間
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