ら出る小六の仕打かとも疑《うたぐ》った。しかし自分が佐伯に対して特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動静を耳にしない方を、かえって喜こんだ。
 それでも時々は、先方《さき》の様子を、小六と兄の対話から聞き込む事もあった。一週間ほど前に、小六は兄に、安之助がまた新発明の応用に苦心している話をした。それは印気《インキ》の助けを借らないで、鮮明な印刷物を拵《こし》らえるとか云う、ちょっと聞くとすこぶる重宝な器械についてであった。話題の性質から云っても、自分とは全く利害の交渉のないむずかしい事なので、御米は例の通り黙って口を出さずにいたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、どうして印気を使わずに印刷ができるかなどと問い糺《ただ》していた。
 専門上の知識のない小六が、精密な返答をし得るはずは無論なかった。彼はただ安之助から聞いたままを、覚えている限り念を入れて説明した。この印刷術は近来英国で発明になったもので、根本的にいうとやはり電気の利用に過ぎなかった。電気の一極を活字と結びつけておいて、他の一極を紙に通じて、その紙を活字の上へ圧《お》しつけさえすれば、すぐできるのだと小六が云っ
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