様などの中に、この屏風を立てて見て、それに、召使が二人がかりで、蔵の中から大事そうに取り出して来たと云う所作《しょさ》を付け加えて考えると、自分が持っていた時よりは、たしかに十倍以上|貴《たっ》とい品のように眺《なが》められただけであった。彼は即座に云うべき言葉を見出し得なかったので、いたずらに、見慣れたものの上に、さらに新らしくもない眼を据《す》えていた。
主人は宗助をもってある程度の鑑賞家と誤解した。立ちながら屏風の縁《ふち》へ手を掛けて、宗助の面《おもて》と屏風の面とを比較していたが、宗助が容易に批評を下さないので、
「これは素性《すじょう》のたしかなものです。出が出ですからね」と云った。宗助は、ただ
「なるほど」と云った。
主人はやがて宗助の後へ回って来て、指でそこここを指《さ》しながら、品評やら説明やらした。その中《うち》には、さすが御大名だけあって、好い絵の具を惜気《おしげ》もなく使うのがこの画家の特色だから、色がいかにもみごとであると云うような、宗助には耳新らしいけれども、普通一般に知れ渡った事もだいぶ交っていた。
宗助は好い加減な頃を見計らって、丁寧《ていねい》に礼を述べて元の席に復した。主人も蒲団《ふとん》の上に直った。そうして、今度は野路《のじ》や空云々という題句やら書体やらについて語り出した。宗助から見ると、主人は書にも俳句にも多くの興味を有《も》っていた。いつの間にこれほどの知識を頭の中へ貯《たくわ》え得らるるかと思うくらい、すべてに心得のある男らしく思われた。宗助は己《おの》れを恥じて、なるべく物数《ものかず》を云わないようにして、ただ向うの話だけに耳を借す事を力《つと》めた。
主人は客がこの方面の興味に乏しい様子を見て、再び話を画《え》の方へ戻した。碌《ろく》なものはないけれども、望ならば所蔵の画帖《がじょう》や幅物を見せてもいいと親切に申し出した。宗助はせっかくの好意を辞退しない訳に行かなかった。その代りに、失礼ですがと前置をして、主人がこの屏風を手に入れるについて、どれほどの金額を払ったかを尋ねた。
「まあ掘出し物ですね。八十円で買いました」と主人はすぐ答えた。
宗助は主人の前に坐って、この屏風に関するいっさいの事を自白しようか、しまいかと思案したが、ふと打ち明けるのも一興だろうと心づいて、とうとう実はこれこれだと、今までの顛末《てんまつ》を詳しく話し出した。主人は時々へえ、へえと驚ろいたような言葉を挟《はさ》んで聞いていたが、しまいに、
「じゃあなたは別に書画が好きで、見にいらしった訳でもないんですね」と自分の誤解を、さも面白い経験でもしたように笑い出した。同時に、そう云う訳なら、自分が直《じか》に宗助から相当の値で譲って貰えばよかったに、惜しい事をしたと云った。最後に横町の道具屋をひどく罵《のの》しって、怪《け》しからん奴《やつ》だと云った。
宗助と坂井とはこれからだいぶ親しくなった。
十
佐伯《さえき》の叔母も安之助《やすのすけ》もその後とんと宗助《そうすけ》の宅《うち》へは見えなかった。宗助は固《もと》より麹町《こうじまち》へ行く余暇を有《も》たなかった。またそれだけの興味もなかった。親類とは云いながら、別々の日が二人の家を照らしていた。
ただ小六《ころく》だけが時々話しに出かける様子であったが、これとても、そう繁々《しげしげ》足を運ぶ訳でもないらしかった。それに彼は帰って来て、叔母の家の消息をほとんど御米《およね》に語らないのを常としておった。御米はこれを故意《こい》から出る小六の仕打かとも疑《うたぐ》った。しかし自分が佐伯に対して特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動静を耳にしない方を、かえって喜こんだ。
それでも時々は、先方《さき》の様子を、小六と兄の対話から聞き込む事もあった。一週間ほど前に、小六は兄に、安之助がまた新発明の応用に苦心している話をした。それは印気《インキ》の助けを借らないで、鮮明な印刷物を拵《こし》らえるとか云う、ちょっと聞くとすこぶる重宝な器械についてであった。話題の性質から云っても、自分とは全く利害の交渉のないむずかしい事なので、御米は例の通り黙って口を出さずにいたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、どうして印気を使わずに印刷ができるかなどと問い糺《ただ》していた。
専門上の知識のない小六が、精密な返答をし得るはずは無論なかった。彼はただ安之助から聞いたままを、覚えている限り念を入れて説明した。この印刷術は近来英国で発明になったもので、根本的にいうとやはり電気の利用に過ぎなかった。電気の一極を活字と結びつけておいて、他の一極を紙に通じて、その紙を活字の上へ圧《お》しつけさえすれば、すぐできるのだと小六が云っ
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