から大きな眼が四つほどすでに宗助を覗《のぞ》いていた。火鉢を持って出ると、その後《あと》からまた違った顔が見えた。始めてのせいか、襖の開閉《あけたて》のたびに出る顔がことごとく違っていて、子供の数が何人あるか分らないように思われた。ようやく下女が退《さ》がりきりに退がると、今度は誰だか唐紙《からかみ》を一寸ほど細目に開けて、黒い光る眼だけをその間から出した。宗助も面白くなって、黙って手招ぎをして見た。すると唐紙をぴたりと閉《た》てて、向う側で三四人が声を合して笑い出した。
やがて一人の女の子が、
「よう、御姉様またいつものように叔母さんごっこしましょうよ」と云い出した。すると姉らしいのが、
「ええ、今日は西洋の叔母さんごっこよ。東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだからママって云うのよ。よくって」と説明した。その時また別の声で、
「おかしいわね。ママだって」と云って嬉《うれ》しそうに笑ったものがあった。
「私《わたし》それでもいつも御祖母《おばば》さまなのよ。御祖母さまの西洋の名がなくっちゃいけないわねえ。御祖母さまは何て云うの」と聞いたものもあった。
「御祖母さまはやっぱりババでいいでしょう」と姉がまた説明した。
それから当分の間は、御免下さいましだの、どちらからいらっしゃいましたのと盛《さかん》に挨拶《あいさつ》の言葉が交換されていた。その間にはちりんちりんと云う電話の仮色《こわいろ》も交った。すべてが宗助には陽気で珍らしく聞えた。
そこへ奥の方から足音がして、主人がこっちへ出て来たらしかったが、次の間へ入るや否や、
「さあ、御前達はここで騒ぐんじゃない。あっちへ行っておいで。御客さまだから」と制した。その時、誰だかすぐに、
「厭《いや》だよ。御父《おと》っちゃんべい。大きい御馬買ってくれなくっちゃ、あっちへ行かないよ」と答えた。声は小さい男の子の声であった。年が行かないためか、舌がよく回らないので、抗弁のしようがいかにも億劫《おっくう》で手間がかかった。宗助はそこを特に面白く思った。
主人が席に着いて、長い間待たした失礼を詫《わ》びている間に、子供は遠くへ行ってしまった。
「大変|御賑《おにぎ》やかで結構です」と宗助が今自分の感じた通を述べると、主人はそれを愛嬌《あいきょう》と受取ったものと見えて、
「いや御覧のごとく乱雑な有様で」と言訳らしい返事をしたが、それを緒《いとくち》に、子供の世話の焼けて、夥《おびた》だしく手のかかる事などをいろいろ宗助に話して聞かした。その中《うち》で綺麗《きれい》な支那製の花籃《はなかご》のなかへ炭団《たどん》を一杯|盛《も》って床の間に飾ったと云う滑稽《こっけい》と、主人の編上の靴のなかへ水を汲み込んで、金魚を放したと云う悪戯《いたずら》が、宗助には大変耳新しかった。しかし、女の子が多いので服装に物が要《い》るとか、二週間も旅行して帰ってくると、急にみんなの背が一寸《いっすん》ずつも伸びているので、何だか後《うしろ》から追いつかれるような心持がするとか、もう少しすると、嫁入の支度で忙殺《ぼうさつ》されるのみならず、きっと貧殺《ひんさつ》されるだろうとか云う話になると、子供のない宗助の耳にはそれほどの同情も起し得なかった。かえって主人が口で子供を煩冗《うるさ》がる割に、少しもそれを苦にする様子の、顔にも態度にも見えないのを羨《うらや》ましく思った。
好い加減な頃を見計《みはから》って宗助は、せんだって話のあった屏風《びょうぶ》をちょっと見せて貰えまいかと、主人に申し出た。主人はさっそく引き受けて、ぱちぱちと手を鳴らして、召使を呼んだが、蔵《くら》の中にしまってあるのを取り出して来るように命じた。そうして宗助の方を向いて、
「つい二三日前までそこへ立てておいたのですが、例の子供が面白半分にわざと屏風の影へ集まって、いろいろな悪戯をするものですから、傷でもつけられちゃ大変だと思ってしまい込んでしまいました」と云った。
宗助は主人のこの言葉を聞いた時、今更|手数《てかず》をかけて、屏風を見せて貰うのが、気の毒にもなり、また面倒にもなった。実を云うと彼の好奇心は、それほど強くなかったのである。なるほどいったん他《ひと》の所有に帰したものは、たとい元が自分のであったにしろ、無かったにしろ、そこを突き留めたところで、実際上には何の効果もない話に違なかった。
けれども、屏風は宗助の申し出た通り、間もなく奥から縁伝いに運び出されて、彼の眼の前に現れた。そうしてそれが予想通りついこの間まで自分の座敷に立ててあった物であった。この事実を発見した時、宗助の頭には、これと云って大した感動も起らなかった。ただ自分が今坐っている畳の色や、天井の柾目《まさめ》や、床の置物や、襖《ふすま》の模
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