は、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二三点の骨董品《こっとうひん》だけは、やはり気長に欲しがる人を探《さが》さないと損だと云う叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。すべてを差し引いて手元に残った有金は、約二千円ほどのものであったが、宗助はそのうちの幾分を、小六の学資として、使わなければならないと気がついた。しかし月々自分の方から送るとすると、今日《こんにち》の位置が堅固でない当時、はなはだ実行しにくい結果に陥《おちい》りそうなので、苦しくはあったが、思い切って、半分だけを叔父に渡して、何分|宜《よろ》しくと頼んだ。自分が中途で失敗《しくじ》ったから、せめて弟だけは物にしてやりたい気もあるので、この千円が尽きたあとは、またどうにか心配もできようしまたしてくれるだろうぐらいの不慥《ふたしか》な希望を残して、また広島へ帰って行った。
 それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとうとう売れたから安心しろと云う手紙が来たが、いくらに売れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間ほど経《た》っての返事に、優に例の立替を償《つぐな》うに足る金額だから心配しなくても好いとあった。宗助はこの返事に対して少なからず不満を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細はいずれ御面会の節云々とあったので、すぐにも東京へ行きたいような気がして、実はこうこうだがと、相談半分細君に話して見ると、御米は気の毒そうな顔をして、
「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云って、例のごとく微笑した。その時宗助は始めて細君から宣告を受けた人のように、しばらく腕組をして考えたが、どう工夫したって、抜ける事のできないような位地《いち》と事情の下《もと》に束縛《そくばく》されていたので、ついそれなりになってしまった。
 仕方がないから、なお三四回書面で往復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行《はんこう》で押したようにいずれ御面会の節を繰り返して来るだけであった。
「これじゃしようがないよ」と宗助は腹が立ったような顔をして御米を見た。三カ月ばかりして、ようやく都合がついたので、久し振りに御米を連れて、出京しようと思う矢先に、つい風邪《かぜ》を引いて寝《ね》たのが元で、腸窒扶斯《ちょうチフス》に変化したため、六十日余りを床の上に暮らした上に、あとの三十日ほどは充分仕事もできな
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